銃向けられても撮り続けた 中国人写真記者が見た天安門

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 1989年6月、中国の共産党政権が軍を使って学生らの民主化運動を鎮圧した天安門事件から4日で30年になる。当時、現場で取材した中国紙のカメラマンが撮影した未発表写真の一部を朝日新聞が入手した。鎮圧の様子は海外メディアも報じているが、報道統制を受けた中国メディアの記者による写真は珍しい。

 民主化を求め、天安門広場を埋め尽くす学生。協力する市民たち。軍による鎮圧と激しい反発――。

 6月4日には、ずらりと並ぶ軍用車両の前で、軍に捕まった市民が1人だけひざまずかされている様子を撮影した。中国国旗を背景に、軍が圧倒的な武力で民衆を制圧したことを示す象徴的な1枚だ。

 カメラマンは国内で公に語れるようになったら自ら発表しようと考えていたが、政府は30年たった今も「反革命暴乱」との評価を変えていない。「写真を通じて多くの人に真相を知ってもらい、考えてほしい」と公表に応じた。

 同年4月中旬から続いた民主化運動を連日取材。軍が学生らを鎮圧した6月4日も北京市内で撮影し、軍が市民を拘束した場面や多くの死傷者を目撃した。

 だが、当局の指示で写真は発表できず、写っている人が拘束されるリスクを考え、長らく、未発表のまま自身で保管していた。

 モノクロフィルムで撮影し、100枚ほど手元に残していた。中国メディアの多くは事件後、記者らが撮影したフィルムごと回収したとされるだけに、事件の最前線に入った中国人カメラマンの写真は貴重な記録だ。

 4月から5月にかけては、日ごとに盛り上がる学生運動の様子や、市内に入ってきた軍に対し、市民が手荒なまねをしないよう説得する様子などを撮影した。市民が兵士をねぎらい、差し入れすることもあった。

 市内はデモが頻発してバスが運行できなくなっており、移動には苦労した。だが、記者たちの多くが民主化運動には好意的なことを知る市民や学生が、「乗ってください」と三輪車や自転車で送ってくれた。

 「デモを取材しているカメラマンだと分かると、お金を払うと言っても決して受け取らなかった」

 当時は、人民解放軍が人民に向けて発砲するとは誰も予想していなかったという。

 事態が急転したのは6月3日深夜のことだ。

カメラマンは命がけでシャッターを押し続けました。未公表写真をご覧ください。

 自宅で救急車の音を聞いて近…

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