時代は移れど一人じゃない安心感 若者の街・渋谷は不変

有料記事令和

河崎優子
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 1日300万人超の乗降客が行き交う渋谷駅。その近くにあるスクランブル交差点は、年越しや大きなイベントがあるたびに大勢の若者でごった返す。

 「元号が変わる瞬間はなかなか立ち会えない。みんなで騒ぎたい」。30日夜、小雨が降る中、山形県の会社員、富樫波月さん(21)は友達3人ときた。静岡市の高校2年の女子生徒4人組は、「自撮り」をしていた。「楽しそうだからきた。ユーチューバーに会えるかな」と話した。交差点は1日午前0時の直前、すべての信号が赤になり、人と車の横断が規制された。10秒前から、全身を電飾で飾った人や顔に令和と書いた人らがカウントダウン。日付がかわると歓声が湧き、令和コールが起きた。

 「昔は普通の交差点で、落ち着いた街だった」。写真家の佐藤豊さん(68)は近くで生まれ育ち、半世紀以上、渋谷を撮り続けている。

 交差点で斜め横断が可能になったのは1973年。前年に浅間山荘事件があり、NHKの放送センター本館が渋谷に完成したのもこのころだ。男性はジャケットにパンツ、女性はワンピースが主流だった。79年にファッションビル「SHIBUYA109」が開業。次第に若い女性向けの店にシフトし、平成に入るとミニスカートやルーズソックス、厚底ブーツなど、若者が集うように。流行の発信地として定着した。

 「ここはステージだから」。このころ、カメラを向けた「コギャル」は佐藤さんに言った。「どんな人も受け入れてくれる渋谷は彼女らにとって、居心地のいい癒やしの場なのだな」と実感した。

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 99年には交差点に面した大…

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