「刑務所みたいだった」児相で一時保護された女性語る

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松山紫乃
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 刑務所みたいなところだった――。千葉県野田市で虐待死したとされる栗原心愛(みあ)さん(当時10)が父親からの虐待を訴え、1カ月半保護された「一時保護所」。7年前、心愛さんとは別の県内の一時保護所で4カ月間過ごした女性が、その実態を語った。女性はいま、虐待された過去と向き合い、乗り越えようと前に進み続けている。

 女性は都内の大学4年生、りこ=仮名=さん(21)。県内の児童相談所(児相)の一時保護所で、2011年12月から暮らした。中学2年だった。夜は雑魚寝の幼児たちが廊下にまであふれた。外出はできず、大好きな学校にも通えなかった。

 最もつらかったのが、「個別」と呼ばれる「罰制度」だ。悪いとされることをすると、一時隔離された。個室に入れられ、1人で過ごすこともあれば、相部屋をシーツで仕切られ、周りとの接触を遮断されることも。トイレに行く途中の廊下で、ほかの子どもと言葉を交わせば、その子も同じ罰を受けた。

 りこさんは2回、個別を経験した。長いときは1週間。部屋に閉じ込められている間、窓からは外で遊ぶ子どもたちが見えた。「早く保護所から出たいと、泣きそうだった」

 しかし、家には帰りたくなかった。

 体中を殴られ、蹴られ、廊下で生活させられる……。こうした虐待を幼い頃から受けてきたからだ。5歳から母親と2人暮らし。その母は、気に入らないことがあると暴力を振るい、時には下着のまま外に放り出した。真冬に外で水をかけられたり、数日間、食事がなかったりした。

 ある日、りこさんは別居中の父親にもらった携帯電話が母親に見つかり、包丁を突きつけられた。「殺されるかもしれない」。自宅を飛び出し友人の家に助けを求め、中学校で児相職員に保護された。「母親ともう一度暮らすことは考えられなかった」

 しかし、一時保護所の保育士は帰宅を求めてきた。

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 「家に帰るしかない」「家に…

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