妻の死直前、強制不妊の被害告白「悪かった」 夫の叫び

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 「不良な子孫の出生を防止する」ため障害者らに強いた不妊手術は、平成の初めまで続いていました。旧優生保護法(1948~96年)が認めていたためで、被害者約2万5千人。何も知らされないまま、あるいは、だまされて、手術をされた人たちがいます。

 国に謝罪と賠償を求めて、これまでに被害者20人が全国7地裁で提訴。5月28日には初めての判決が予定されています。

 提訴を受けて国会は、被害者に一時金を支給する「救済法」づくりに動きだし、4月24日に法律が成立しました。被害者である原告たちは、この法律に、不妊手術が行われたことに対する国の謝罪を明記するよう求めていました。

 「私は、この手術は国がやったことだとわかって、ようやく家族を恨む気持ちが消えました」

 原告の一人、14歳のころ何も知らされずに不妊手術をされた男性(76)は、法律を作るプロセスで国会に「参考人」として呼ばれて被害や法案について発言する機会があるのでは、と自分の思いを紙につづって準備をしていました。

 結局、法成立までの間に国会は参考人質疑を行わず、男性がこの紙を読み上げる機会はありませんでした。

 そして、成立した法律に盛り込まれたおわびの主語は、「国」ではなく「我々」でした。

 男性が国会議員に直接伝えたかったのは、こんな思いです。

 この思いは今も変わっていません。

男性の「意見」(要旨)

1【はじめに】

 今、ようやくここまできたのだと感じています。これまでの国会議員の皆様のご努力に、感謝申し上げます。

 しかし、救済法案については、私たちの声を聞いた上で、もっと検証して欲しい点があります。今日はそれをお伝えしたくて、この場に立っています。

2【私の受けた被害】

 私は、宮城県に生まれました。中学1年のころ、父に反発し、施設に入れられました。中学2年になって間もなく、施設の先生に病院に連れて行かれ、手術を受けました。何のための手術なのか説明はまったくなく、悪いところを取ると言われただけでした。あとから先輩が、私が受けた手術は子どもができないような手術だと教えてくれました。

 私は、施設に入れた父親が手術を仕向けたのだと思い、それ以来、父親と施設の職員を恨み続けていました。

 子どものできない身体になってしまい、私は一生独身でいようと考えていましたが、縁があって結婚することとなりました。しかし、妻には手術のことはいえませんでした。どうして子どもができないのかと親戚から何度も言われて、妻も私も辛(つら)い思いをしました。

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