「やっと近くに」脱線事故から14年、現場で初の慰霊式

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波多野大介 飯島啓史
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 乗客と運転士計107人が死亡、562人が負傷したJR宝塚線(福知山線)脱線事故は25日、発生から14年となった。追悼慰霊式が、「祈りの杜(もり)」として整備された兵庫県尼崎市の事故現場で初めて行われ、遺族や負傷者らが祈りを捧げた。

 事故が発生した時刻と同じ午前9時18分ごろ、快速電車が追悼の警笛を鳴らして通過。その後、JR西日本の来島(きじま)達夫社長ら幹部が衝突の傷痕が残るマンション北側に向かって頭を下げ、黙禱(もくとう)した。

 午前9時40分から始まったJR西主催の式典には遺族や負傷者計459人が参列。来島社長は「取り返しのつかない重大な事故を引き起こしてしまったことに、ただただおわびを申し上げるしかありません。この場所の重みをしっかりと心に刻み、安全を誓い続けていく場として責任を持って大切にお守りしてまいります」と述べた。

 この事故で長男の満(みつる)さん(当時37)を亡くした兵庫県伊丹市の斉藤百合子さん(76)が「慰霊のことば」を述べ、「満、やっと私たちの近くに帰って来れたね。大好きだった電車の走る音、警笛の音が聞こえる所で、電車の安全を見守ってね」と語りかけた。

 式典はこれまで現場近くの尼…

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