亡き父の姿追ったその先に 中華航空機事故から25年

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佐藤英彬
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 名古屋空港愛知県豊山町)で発生し、乗客・乗員264人が死亡した中華航空機墜落事故から、26日で丸25年が経つ。当時、小学6年生だった高木祥行(よしゆき)さん(37)=愛知県日進市=は、父の育文(いくふみ)さん(当時45)を事故で失った。会社を経営していた父の姿を追い、半年前に障害者施設を設立した。

特にお父さん子

 3人兄妹の真ん中で、4歳上の兄と、一つ下の妹がいる祥行さん。名古屋市内で鋼材商社を経営していた育文さんは、月1回のペースで台湾に出張するなど多忙な日々を過ごしていた。

 目新しいものが好きで、ハウステンボス長崎県)やシーガイア(宮崎県)が開業されると家族を連れて行った。そんな明るく優しい、大好きな父。兄妹のなかでも特に「お父さん子」だった祥行さんは、一緒に風呂に入り、外出してもいつも離れなかった。

 あの日の夜も名古屋市内の自宅で父の帰りを待っていた。だが事故翌日の昼ごろ、自宅前に1台の霊柩(れいきゅう)車が止まった。車からは疲れ果てた母愛子さん(67)が降りてきた。ひつぎの中には、まるで眠っているかのような父がいた。

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 それまで人の死に向きあった…

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