「名ばかり店長」勝訴後の苦難 39歳、今でも制限勤務

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角拓哉
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ロスジェネはいま

 「コンビニ元店長 『名ばかり』認定 東京地裁支部」。2011年6月、朝日新聞朝刊(東京本社最終版)の社会面にこんな見出しの記事が載った。

 管理職としての実態がないまま長時間労働を強いられた男性が訴えた民事裁判で、裁判所は被告の会社に計164万円の支払いを命じた。男性は当時31歳。失われた世代、ロストジェネレーションにほかならない。

「自分探し」のはずが

 4月初めの午後、JR八王子駅南口で待ち合わせた。コンビニ「SHOP99」の元店長、清水文美さん(39)は約束の時間ぴったりに現れた。初対面だが、柔和な表情に親しみを感じた。

 交換した名刺には「首都圏青年ユニオン副委員長」とあった。訴訟前に助けを求めた労働組合だという。そして、「SHOP99名ばかり店長裁判元原告」とも記されていた。

 近くのファミリーレストランに入った。清水さんはドリンクバーで選んだアイスティーを一口飲み、一呼吸置くと、静かに語り出した。

 「なりたい自分になろう。そんなCM、昔ありませんでしたっけ」

 都立高校の3年生だった1997年、北海道拓殖銀行山一証券が相次いで経営破綻(はたん)した。名だたる企業が、日本経済が危機に瀕(ひん)し、世の中に確実なものはないんだと感じた。同級生の大半が大学や専門学校に進学するなか、就職活動もほとんどせずに卒業し、東京都小平市の実家に住みながらフリーターになった。

 「CMの影響じゃないけど、当時はやりたいことを見つけよう、みたいな。自分探しも悪くないなって。でも、どのバイトも割に合わなかったですね」

 最初に働いたのは近所のガソリンスタンド。年の近い仲間たちがいて楽しかった。バイト先の先輩だった大学生の就職が決まり、送別会を開いたが、半年ほどで戻ってきた。「つらかった」とこぼしたのを聞き「やっぱり、どの仕事もきついのかな。働くのは今じゃないな」と思った。正社員の魅力が薄まっていくのを感じた。

派遣バイト、ひたすら電話

 次に派遣のバイトを1年半ほど続けた。長引く不況。企業が派遣労働者を重宝したのは、状況に応じて従業員を増減できる「調整弁」にしうるからだった。

 深夜に倉庫の荷物を仕分けするのが主だった。手取りで日給9千~9500円。2時間半以上かかる遠隔地に派遣されることも多く、自己負担の交通費が2千円以上になることもあった。一番つらかったのはマンションの購入を電話ですすめる仕事だった。時給1200円。8時間ひたすら電話をかけ続けたが、1件も契約が取れないまま3カ月でやめた。

 「1日100件以上かけて1件も契約が取れない。全部断られるので、精神的につらくなって。その後は引きこもるようになりました」

 家ではテレビを見たり、パソコンをいじったり。気分転換に図書館に出かけることがあったが、昔の友人に会わないよう気を遣った。

 4人兄弟の3番目。両親はともに公務員で、子どもの自主性に任せる教育方針だった。何かを強制された記憶はない。そんな父親が「ふらふらしているね」と心配そうにしていた。

24時間勤務、残業代なし

 「半年ぐらいは引きこもり状態だったかな。でも、これじゃいかんと思いハローワークに行きました」

就職氷河期に社会に出た世代に、「ロストジェネレーション」と名付けたのは、朝日新聞です。40歳前後となったロスジェネは今も不安定雇用や孤立に向き合っています。生き方を模索する姿を伝え、ともに未来を考えます。

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 勤務地は多摩地域、正社員…

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