飛鳥時代の寺 壁土に火山灰

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渡義人
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災害考古学 第4部

 奈良県桜井市特別史跡、山田寺跡(7世紀)。大化改新のきっかけとなった乙巳(いっし)の変(645年)で中大兄皇子(なかのおおえのみこ)(のちの天智〈てんじ〉天皇)側についた蘇我倉山田(そがのくらやまだの)石川麻呂(いしかわまろ)が、641年に創建した寺だ。石川麻呂はその8年後、異母弟の讒言(ざんげん)で謀反を疑われ、自殺に追い込まれた。

 1982年、奈良国立文化財研究所(現奈良文化財研究所)が、その山田寺跡を発掘調査していたときだった。地中から横倒しになっていた木製回廊の一部がそのまま見つかった。11世紀の平安時代土砂崩れで倒れたらしい。すぐに保存処理され、今は近くの飛鳥資料館(奈良県明日香村)で展示されている。

 「柱や連子窓(れんじまど)などの部材だけでなく、白壁も残っていました」。飛鳥資料館の西田紀子(のりこ)研究員(42)が言った。古代の寺院や宮殿は壁を白く塗り、外観を美しく見せていた。白壁の材料は、石英などの鉱物を含む「白土(はくど)」や石灰岩などでつくる「漆喰(しっくい)」が使われるケースが多く、山田寺の白壁もそうした材料が利用されたと考えられてきた。

 みつかってから15年余りたったころ。当時、奈文研の研究員だった村上隆(りゅう)・京都美術工芸大学教授(65)が壁土を顕微鏡で観察していたとき、土の中にガラス質の成分があることに気づいた。「もしかしたら、火山灰かもしれない」

 さらに分析を重ね、数十万年…

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