カルピス語源はサンスクリット語 誕生支えた楚人冠人脈

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三国治
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 今年で発売100周年になる日本初の乳酸菌飲料、カルピス。生みの親の三島海雲(かいうん)(1878~1974)は、千葉県我孫子に住んだジャーナリストの杉村楚人冠から多くの友人知人を紹介されて事業を成功させた。その人脈に焦点をあてた企画展「三島海雲と杉村楚人冠~カルピスと友情の物語」が、我孫子市の杉村楚人冠記念館で開かれている。

 大阪府生まれの三島は、京都市西本願寺文学寮(現・龍谷大学)で学び、教師をしていた楚人冠に出会った。卒業後に中国に渡って貿易会社を立ち上げ、内モンゴルで乳酸発酵食品「酸乳」を知る。帰国後、それをヒントに食品を開発。試行錯誤の末、脱脂乳を乳酸菌で発酵させてカルシウムと砂糖を加えカルピスを作り上げた。

 楚人冠の友人知人が、いろいろな場面で三島を手助けした。医師の長谷川基(もとい)は研究場所を与え、カルピスの前に作った商品については実業之日本社社長の増田義一が「実業之日本」に記事を出し、販売も引き受けた。サンスクリット語で牛乳を精製すると4番目にできるものを表す「サルピス」とカルシウムを組み合わせてカルピスと命名した際には、仏教学者の渡辺海旭(かいきょく)から語源面でアドバイスを受けたという。

 カルピスは1919年7月に発売され、3年後におなじみのキャッチコピー「初恋の味」が新聞広告に登場した。楚人冠と三島の共通の知人だった国語教師が「甘くて酸っぱいカルピスは、初恋の味だ」と提案したという。その後も、多くの友人知人が支援した。

 展示されているのは、三島と…

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