仏像の胎内に噴火の記録
田中章博
災害考古学 第4部
岡山県の西部、広島県境に近い標高281メートルの経ケ丸(きょうがまる)山。その中腹に奈良時代の創建とされる高山寺(こうざんじ、岡山県井原市)がある。寺に伝わる地蔵菩薩(ぼさつ)立像(国重要文化財、平安時代)の胎内から、墨書きの文章がみつかったのは1954年のことだった。仏像は桜の一木造り。像高154センチ。解体修理の際、背中を細長くくりぬき、それにふたをした板の裏に文字がびっしりとあった。
「十一月ふじの山やくることよるひる十五が間 江戸するがにすなふり小石ふること二十日が間なり (中略)ふし山の下に小ふじという山夜の間に出来する」(11月、富士山が噴火すること、昼夜15日間。江戸や駿河に火山灰や火山礫(れき)が降ること、20日間。〈中略〉富士山の下に小富士という山〈宝永(ほうえい)山〉が夜の間に出現した)
なぜ、岡山の寺に伝わる仏像の胎内に、江戸時代の1707年に起きた巨大地震(宝永地震)と富士山噴火(宝永噴火)のことが記されていたのか。
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