平成女子「春になれば笛を吹く」0歳長女につなぐ高山祭

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山下周平
【動画】平成最後の高山祭 次代へつなぐ30代の決意=山下周平撮影
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 14、15の両日、岐阜県高山市に平成最後の高山祭がやってくる。繊細で絢爛(けんらん)豪華な祭り屋台が、遅い春を迎えた飛驒路の街を練り歩く。平成を祭りとともに生きた30代が、伝統を令和へとつないでいく。

 祭りを控えた3月下旬の夜、高山市の観光名所「古い町並(まちなみ)」の焼き物店から笛の音が響いた。

 「私の指をちゃんと見て」。中沢明起子(あきこ)さん(30)が子どもたちに語りかけた。1年ぶりの練習で思うように音の出ない子どももいる。「分かんなくなったら教えてあげるから」。中沢さんの声に、子どもたちの笑顔が戻った。

 中沢さんは昭和63(1988)年生まれ。生まれてすぐ、時代は平成に変わった。実家は「渋草焼(しぶくさやき)」の窯元で、祭り屋台「鳳凰台(ほうおうたい)」の組。物心ついた頃には屋台に乗っていた。

 中学1年生の時、鳳凰台では約60年間途絶えていたおはやしの生演奏を復活させた。テープで代用していたが、生演奏は祭りに勢いをつける。復活に向けて子どもたちで練習を重ね、笛のリーダーを任された。屋台の上で演奏し、同級生に手を振るのが、楽しく、誇らしかった。以来、毎年、おはやしを奏でている。

 春になれば祭りがあり、笛を吹く。そんな「あたりまえ」を守るということを意識した出来事があった。2011年3月の東日本大震災。発生から1カ月後の祭りには、自粛の動きもあった。被害の大きさに衝撃を受けたが、「祭りがないなんて考えられなかった」

 神事ということで、祭りの自粛は免れた。祭りが高山で生きる自分たちにとって無くてはならないもので、代々受け継がれてきた意味を改めて知った。祭りの当日は、同級生と笛を奏でて、被災地への義援金を募った。

 昨年の祭りの直前、妊娠が分…

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