幻の五輪代表は今 卑屈さを抱え「いいよね。出られて」

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編集委員・中小路徹
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 2020年7月、再びオリンピックが東京にやってくる。これまでの五輪で栄光を勝ち取った選手がいれば、負けて涙した選手もいる。裏方として力を尽くした人がいれば、まさに今、2020年に向けて走っている人もいる。五輪にまつわる様々な人や場所を、記者が訪ねます=敬称略

     ◇

 2017年初夏、アジサイが咲く季節だった。

 1980年モスクワ五輪体操女子の日本代表だった竹内由佳(55)=旧姓日向=と津田桂(かつら、54)=旧姓内田=は、東京ドームホテルの最上階でランチバイキングを楽しんでいた。

 現役時代のように食事制限もなく、好きなものが食べられる幸せ。隣り合わせで見下ろす眺望と昼のビールが甘美だった。

 禁断の話題に触れたのは確か、竹内の方だった。

 「20年のオリンピック、東京で開かれるね」

 あの時から37年。しばしば会っていた二人は昔話はしても、五輪に関する話をすることはなかった。

 竹内は中学で札幌の親元を離れ、福井県の体操スクールに所属、80年当時は高校2年だった。そんな竹内には、五輪の日本代表だったのに、実際に出ていないことへのコンプレックスがあった。「自分たちが、何か悪いことをしたかのような負い目」。札幌でコンディショニングトレーナーの仕事に没頭し、体操選手だったことは忘却のかなたに置いていた。

 80年は東京・国学院高1年だった津田は、相模原市で体操クラブを設立し、同市の小学校で教員を務める。彼女もまた、五輪は嫌なイメージで覆われていた。「いいよね、出られて」。出場選手には嫉妬にかられた。もう、その卑屈さを断ち切りたかった。

 互いに、そんな胸の内をさらけ出した。

 モスクワ五輪は、スポーツが政治に屈した歴史でもある。時は東西冷戦。ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する米国がボイコットを表明し、西側諸国に同調を訴えた。日本政府の圧力を受けた日本オリンピック委員会(JOC)は苦渋の決断を強いられ、米国に追随。代表に選ばれながら舞台を奪われた選手が、18競技で178人いた。

 「初めてだね、こんな話をするの」。うなずきあった二人は、「何か行動を起こせないか」と相談を始めた。同じ境遇の元選手たちも、闇を抱えているだろう。その日のうちに、同じ体操の代表だった笹田弥生(56)=旧姓加納=に連絡をとった。

 当時、国学院高3年だった笹田は、国学院大准教授(コーチング学)になっていた。

 モスクワ五輪代表は「幻の代表」と言われるが、JOCは五輪代表として認定している。「たとえ不参加でも、選手団の栄誉を記録に残す」という理由からだ。五輪代表選手が所属できる日本オリンピアンズ協会にも登録できる。

 だが、一堂に会したこともなく、五輪関連イベントに呼ばれることも多くはない。中ぶらりんの立場に、笹田も引け目を感じていた。「みんなはどう思っているか」と気になっていたところできた二人からの相談が、アンケート実施へ背中を押した。

「思い出したくない」断ち切れない無念さ

 178人のうち、日本オリンピアンズ協会などを通じて連絡先がわかったのは92人。61人から回答を得た。既に3人が亡くなったこともわかった。笹田、竹内、津田のように、モスクワが唯一の代表だったのは104人だった。

 アンケートの結果、「日本のボイコットに意味があったか」の問いには、「いいえ」が74%、「ボイコットをすべきではなかったか」には、「はい」が82%を占めた。

 自由記述には、自らが受けたダメージや、無念さが切々と書かれていた。

 「競技の場に立たなければ敗北です」(ヨット)

 「選手の4年間を国はどう考えるのか?」(射撃)

 「社会人後は国際大会の出場は一切断った」(ボクシング)

 「オリンピックを目標に費やした時間や犠牲にしたものが大きく、その後も競技を続けたが、記録や勝負にこだわる意欲がわいてこなかった」(水泳)

 何とか折り合いをつけている人はこう書いた。

 「ボイコットは当時の国策であり、仕方なかった。スポーツの認知度が低かったと思います」(ボート)

 「思い出したくない。そっとしておいて」という返信もあった。

 笹田は17年10月、日本スポーツ学会のシンポジウムで、このアンケート内容を発表した。

 「あの大きな流れの中で、仕方なかったのかもしれない。でも、我々は行ける権利があった。JOCには『派遣しよう』という人が何人もいたのに、結局は政府の言うことに『はい』と言うしかなかった。あれを決めた人々の責任はどうしてないのか、と思ってしまいます」

1980年のモスクワ五輪をボイコットした日本。政治に翻弄された当時の選手らを追いました。

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