長男の事故死、突き止めた「真相」 異例の2度目の裁判

田中奏子
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 2015年3月、15歳だった長男が、長野県佐久市内で車にはねられて亡くなった。運転していた御代田町の会社員男性(46)が逮捕されたが、裁判では男性の前方不注視が原因とされ、執行猶予付きの判決となった。疑問に感じた父の和田善光さん(48)と母の真理さん(47)は独自に事故を調査、法定速度を大幅に上回るスピードだったと突き止めた。男性は昨年2月、道路交通法違反(速度超過)の罪で起訴された。18日、その判決が言い渡される。(田中奏子)

 「大変だ! 早く救急車!」

 15年3月23日午後10時20分ごろ。佐久市佐久平駅北の自宅マンションの外で、善光さんが叫んだ。塾に行った樹生(みきお)さんの帰りが遅いのを心配して、様子を見に出た直後だった。真理さんも外に飛び出した。

 樹生さんがひどいけがを負っていることは、一目で分かった。いくら名前を呼んでも、反応はない。救急車が到着するまでの時間が、とてつもなく長く感じた。「早く来て!」。真理さんは、何度も消防に電話した。死なないでくれ。善光さんは必死に祈った。

 だが、その願いは届かなかった。約1時間後、樹生さんは亡くなった。脳挫傷、心破裂……。命に関わるけがを、いくつも負っていた。

 判決で認められた事故の状況はこうだった。

 同日午後10時7分ごろ。運転していた男性は飲食店で酒を飲み、二次会の会場に向かう途中だった。法定速度60キロの道路を、時速70~80キロで運転。横断歩道を歩いて渡っていた樹生さんに気づかずにはね、樹生さんは約44・6メートル飛ばされた。男性は救護や通報をせず、近くのコンビニエンスストアへ。アルコールのにおいを消すため、口臭防止用の商品を買っていた。

     ◇

《おことわり》 2019年3月18日の配信当時の記事中で、「両親によると、男性はこの後、倒れていた樹生さんのそばに移動、善光さんが駆けつけた際には、人工呼吸をしていたという」と掲載していましたが、この部分を22年2月8日付で削除しました。取材時に両親は「人工呼吸をしていた」と話していませんでしたが、記者が誤った思い込みをしていました。

道交法違反含まれず

 長野県警と長野地検の捜査では、事故30分後に検出されたアルコールは、呼気1リットルあたり0・1ミリグラム。酒気帯び運転の基準値(0・15ミリグラム以上)を下回っていた。速度超過は適用されず、起訴したのは自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死)の罪のみ。15年9月の判決で長野地裁佐久支部は、事故の主因を男性の「前方左右の不注視」と認定し、禁錮3年執行猶予5年を言い渡した。「道交法違反で起訴されていない速度超過などについて、刑事責任を加重させる事情として過大に評価することはできない」などとの判断だった。地検も男性も控訴せず、判決はそのまま確定した。

 善光さんと真理さんは、釈然としない思いだった。なぜ、地検は道交法違反(速度超過)を罪名に含めなかったのか。そもそも、なぜ事故は起きたのか。樹生さんの普段の様子や性格から、「左右を確認してから渡ったはず」と2人は考えていた。本当に時速70~80キロだったのか――。真相は明らかになっていないと感じていた。

 「樹生の最期を、本当のことを明らかにすることしか、もう親としてしてあげられることがない」

 2人は独自に事故を調べ始めた。判決後、地検に控訴を求めて行った署名活動でできた人のつながりが助けになった。近所の人たちからは、男性の運転についての情報が寄せられ、同じように事故で家族を亡くした人からは、調査に向けたアドバイスをもらった。

 その中で、手がかりとなる映像が見つかった。事故直前、事故現場の近くを走る男性の車。速度を割り出そうと、2人は測量や映像解析、交通事故のプロに自費で協力を依頼した。現場にも何度も来てもらった。

 1年半後、導き出された結論は、事故当時の速度が時速110キロに達していたというものだった。「よけられるはずがないじゃないか」と2人は感じた。男性が1年後に免許を再取得し、車を改造していたことも判明した。

地検、告発受け起訴

 「謝罪はいらないから、本当のことを話してほしい」。事故の1年後、男性から届いた2回目の手紙にこう返事を書いたが、反応はなかった。「真相を知りたい」という思いは、怒りに変わっていた。17年5月、地検に告発状を提出した。

 地検は告発を受けて捜査を始めた。事故があった午後10時7分ごろの時速は96キロだったとして、18年2月、男性を道交法違反(速度超過)の罪で起訴。事故後の車の改造についても問い、道路運送車両法違反(不正改造)の罪も加わって、再び裁判が始まった。

 そして18日、判決の日を迎える。検察側は速度超過について懲役3カ月を、不正改造について罰金20万円を求刑。両親の願いは、有罪判決を受けた上で、15年の判決の執行猶予が取り消されること。刑務所に、ただ入ってほしいわけではない。「反省の機会にしてほしいんです」と善光さん。1人の命を奪ったという事実と、向き合ってほしいだけだ、という。

     ◇

 男性側は速度超過の罪について、判決で確定済みの事件については再度、罪には問われない刑事訴訟法上の原則「一事不再理」にあたると主張。有罪か無罪かを判断せず、裁判を打ち切る免訴などを求めている。不正改造の罪についても違法とまでは言えないとし、無罪を主張している。

 長野地検の干川亜紀次席検事は、15年の時点で道交法違反を適用しなかった理由について、「お答えできません」とした。当時は時速70~80キロとしており、捜査不足ではなかったのかとの指摘にも、コメントはしなかった。

8月で20歳「どんな子に」

 樹生さんは、事故の4日前、中学校の卒業式を終えたばかりだった。4月からは、志望していた高校への入学も決まっていた。

 両親によると、何でも一生懸命やる性格。サッカー、水泳、音楽、好きなことには、とことん熱中した。勉強にも進んで取り組んだ。ほとんど毎日、塾で自習し、事故にあった日も、塾で高校の内容を予習していた。

 背負っていた赤いリュックの中には、高校から出された課題が入っていた。「入学後の抱負」と題した作文。「高校2年生までに3年間の勉強を終わらせ、3年生では大学受験に専念したい」と書かれていた。

 英語が得意で、海外で働くことが夢だった。善光さんは聞いたことはなかったけど、「お父さんみたいになりたい」と、友だちに話していたという。

 家族を笑わせるのは、樹生さんの役目。私服通学の高校に、「俺は中学の体操服で行く」と言ったり、真冬に上半身裸でベースを弾いていたり。本人はいたって真面目で、それもまたおかしかった。

 真理さんがつぶやいた。「将来はどんな子になっていたんだろう」。生きていれば今年の8月、20歳になっていたはずだった。

事故を巡るこれまでの経緯

2015年3月23日 発生

     6月5日 自動車運転死傷処罰法違反の罪で起訴

     9月7日 地裁支部が執行猶予付き判決を出す

     11月ごろ 両親が事故の調査を開始

   17年5月   両親が地検に告発状提出

   18年2月7日 道路交通法違反などの罪で起訴

   19年3月18日 判決

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