太宰の生家はどっち? 文献で広がる謎、唯一の証人は

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土井良典
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 生誕から今年で110年を迎える作家太宰治(本名・津島修治)の生家をめぐり、青森県の旧金木町が発行した郷土史の記載が地元で注目されている。生家とされてきた五所川原市金木町にある津島家の豪邸「斜陽館」とは別の家を「太宰が生まれた家」と紹介。一方で斜陽館を生家とする記載もあり、一冊をめぐる二つの説明に謎が深まる。

 赤く大きな屋根にモダンなつくり。金木町の中心部に建つ斜陽館(旧津島家住宅、木造2階建て延べ約1300平方メートル)は大地主だった太宰の父津島源右衛門が建築し、1907年の完成とされる。2004年には国重要文化財となり、市が所有する観光名所になっている。

 斜陽館1階の小間(小さい部屋)は太宰誕生の場所とされ、1909年6月19日夕刻、この部屋が産室になったとの案内文がある。市によると、斜陽館を生家とした大きな根拠が太宰の随筆「六月十九日」。「私がこの家で生れた日の事を、ちやんと皆が知つてゐるのである。夕暮でした。あの、小間で生れたのでした」とある。

 しかし郷土史家の荒関勝康さん(78)らのグループは、斜陽館での誕生に異論を唱える。根拠とするのが自身の体験と合併で市になる前の旧金木町が76年に発行した「金木郷土史」だ。

 郷土史では、斜陽館について…

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