(ナガサキノート)ピカッと光る…父の忠告で助かった命

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田部愛・26歳
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木村透さん(1938年生まれ)

 1945年8月。当時7歳だった少年は、長崎市桜馬場町の自宅で絵日記にナスの絵を描いていた時、父親に話しかけられた。

 「おい、透。広島にこんな爆弾が落ちたんだ。ドカンと爆発したら、ピカッと光る。そうしたら必ず、防空壕(ごう)に飛び込め」

 木村透(きむらとおる)さん(80)=東京都品川区=は今も、父を命の恩人だと思っている。「あの時言ってくれなければ、死んでいたかもしれません」。長崎に原爆が落とされた時、爆心地から約3.2キロにいた木村さんは父の言葉が頭をよぎり、とっさに防空壕に飛び込んだ。まちは一瞬で消え、「あと一つ落とされたら日本がなくなってしまう」と思った。勤務先の長崎医科大学(現・長崎大学医学部)で被爆した父・國房二三(くにふさじそ)さんの命は奪われ、木村さんは原爆孤児になった。

 以来、1日に何度も記憶がよみがえり、年を追うごとに核廃絶への思いを強めている木村さん。「あと一つ」を世界が経験しないために、行動を積み重ねている。

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 木村さんは1938年、現在…

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