京の花街(かがい)では、節分の夜にお化けが出るらしい――。冗談ではなく、どうやら本当の話みたいだ。花街のお化けはどんな格好をして、どんな様子で登場するんだろう? まずはお化けの専門家に解説をお願いしてみた。
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「京のオバケ」(文春新書)の著者で、立教女学院短大の真下(ましも)美弥子教授(日本文学、京都学)によると、花街でお化けの風習が広まったのは江戸末期ごろ。芸妓(げいこ)らが仮装をした様を描いた当時の史料などが残されているという。
お化けの風習? 正体はもしかして……。
真下さんのお話は続く。
京都に限らず、お化けの仮装はかつて各地の花街で行われた。京都や大阪などでは、高度経済成長期の前あたりまでは、一般家庭でも普通に見られたようだ。少女が成人女性の髪形である「島田」に髪を結ったり、おばあさんが少女の髪形をしたり。はたまた女性が男装したり、男性が女装したり。昔は髪形を変えることで「異装」を表現した。このため、「お化け」は「お化髪(ばけ)」が語源だとする説もある。
立春は季節の始まり。その前日である節分は世の中の秩序がいったんすべて改まる直前で、そのタイミングを狙い、鬼や魔物が出没すると考えられた。
年齢や性別の枠を超えるお化けは、ふだんと違う別人になることで鬼を驚かせ、鬼がもたらす災いから逃れるばかりでなく、「異界からやってくる鬼や魔物が持つ福をいただいてしまおうという風習でもあったのです」と真下さん。
だが節分の洒脱(しゃだつ)な遊びは、民衆の生活の中から徐々に姿を消し、花街には残った。庶民の間で廃れ、なぜ花街に残ったのか。
京の花街が「もともと現実の世界から乖離(かいり)した、いわば異界のような性格を持つ」ことに加え、「お茶屋を中心に芸妓や舞妓(まいこ)出身者による店が軒を連ねた一角を形成し、今も独自の文化を保ち続けている」ことによるのだろう――。
真下さんは著書にそう書く。
お化けの正体がわかった。さて、平成最後の節分。どんなお化けが現れるだろう。
この後、芸妓さんがお化けに「変身」する様子や舞台裏を動画で紹介します。
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2月2日午前。はやる気持ちを抑えて、まず「八木源(やぎげん)かづら」(京都市東山区)に向かった。
五花街のひとつ、祇園甲部の…
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