中退→家出→末期がん宣告 フィジーに活路「上場だ!」

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編集委員・中島隆
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 病気と闘いながら、フィジーに日本人を留学生として送り込んできた会社の経営者。命あるかぎり自由に生きる。空を羽ばたく鳥のように。

     ◇

 昨年12月19日、東京の大学病院で、谷口浩さん(47)は検診結果を告げられた。

 「悪性リンパ腫ではない、ほかのがんになっている可能性があります。年明けに再検査しましょう」

 末期のリンパ腫と闘い始めて3年近くがたつ。体調が良いわけではなく、黄疸(おうだん)も出ている。何かあるとは思っていた。

 でも、谷口さんは医師の言葉に落ち込まなかった。

 〈ボクには、まだ時間がある。生きられるんだ〉

 日本から南太平洋へ向けて飛行機で約9時間。常夏の島国・フィジーに2万人を超える日本人を留学生として送り込んできた。谷口さんは、そんな会社の社長である。

 本社は東京。社名は、South Pacific Free Bird(サウスパシフィックフリーバード)。「ボクは鳥のように自由に羽ばたいてきた。みなさんも、どうですか?」。そんな思いが込められている。関連会社は、フィジーにある南太平洋市場証券取引所の上場会社だ。

父に決められた人生はイヤ

 福井県小浜市に生まれた。父は建設業やホテルなどを幅広く経営していた。「後継者として父から与えられる人生で終わりたくない」と考えるようになった。

 中国・上海の大学に進学した。ところが、4年生のとき、教授と意見の相違から中退した。

 中国に返還される前の香港やタイの不動産開発会社を転々とした。所持金がなくなり、仕方なく福井の実家に電話し、飛行機代を送ってもらった。父の会社で働くことが条件だった。

 帰国すると、だれよりも早く出社し、だれよりも遅く退社。土日も出勤した。それが谷口さんのプライドだった。

 1年余りが過ぎた。父に言われた。

 「子会社の社長になれ」

 「お父さんがつくった子会社をボクにくれるということでしょ。イヤだ」

 「だったら出て行け」

 バイクで家を飛び出した。ガソリンが切れた金沢で、中小企業の海外進出を支援する協同組合をつくり、理事長となった。27歳だった。がむしゃらに働いた。

 香港から転々としてきた谷口…

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