南海トラフに超サイクル? 遺跡刻む履歴、巨石も動いた
本州最南端の潮岬(和歌山県串本町)に近い無量寺(むりょうじ)の展示室には、木の船の底板が展示されている。半世紀前の調査で、約1800年前に大量の土砂で埋まったとみられる集落遺跡から出土した遺物だ。なぜ、集落は突然土砂に埋まったのか。その理由が、近年の新たな調査で分かってきた。
紀伊半島最南端、和歌山県串本町の県立串本古座(くしもとこざ)高校。潮岬と紀伊半島をつなぐ幅約500メートルの砂州上に位置するグラウンドの地下に、弥生時代終末期~古墳時代初めに土砂で埋まった集落跡とみられる笠嶋(かさしま)遺跡が眠っている。
1960年、同志社大学がグラウンドの拡張工事に伴って発掘調査した。クスノキ製の船の底板(長さ約4・2メートル、幅約55センチ)や漁撈(ぎょろう)具、建築部材など大量の木製品が出土。地表下の約2メートルの間に砂礫(されき、砂と小石)の地層と泥の地層がみつかったが、建物跡などの遺構は確認できなかった。当時の発掘調査報告書は「暴風雨による津波もしくは地震による津波、あるいは土砂崩れ」と記し、何らかの自然災害で集落が崩壊したとの見方を示していた。
笠嶋遺跡を崩壊に導いた災害とは何だったのか。
その謎は、産業技術総合研究所(産総研、茨城県つくば市)が2012年、笠嶋遺跡でボーリング調査を実施し、半世紀ぶりに解明されることになった。深さ9メートルに及ぶ、約7500年前にさかのぼる地層がみつかった。泥の層の中には0・4~90ミリの砂礫層が繰り返し挟まれていた。
産総研の海溝型地震履歴研究…
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