70年、未来を感じた大阪万博 藤井フミヤさんが語る

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聞き手・半田尚子
【動画】万博について語る藤井フミヤさん=井手さゆり撮影
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 小学2年生くらいの時に親戚でお金を出し合って、福岡からばあちゃんとじいちゃんといとこと4人で、1970年の大阪万博に行きました。

 当時は高度経済成長期で、万博は64年の東京五輪並みに盛り上がっていました。パビリオンは見たことがないようなデザインで、未来都市に迷い込んだ感じ。おもしろいデザインの建物が並び、会場は建築物の戦いみたいでした。「未来はこういう感じになるんだろうな」って思いましたね。

 今も万博記念公園にある、故岡本太郎さんの手による「太陽の塔」のビジュアルが特に印象に残っています。塔の記念メダルをお土産として買って家に置いていたので、万博を身近に感じていました。

 2005年の愛知万博では、名古屋市のパビリオンの総合プロデューサーを務めました。話が来た時に、尻込みもせずに「やります!」と言ったのは、大阪万博が心のどこかにあったからだと思います。

 愛知万博は、日本の大きな万博としては大阪以来だった。太陽の塔を受け継いで、パビリオンは「大地の塔」と名付けました。内部も意識して、太陽光を生かしました。高さは約47メートルで、塔の中は巨大な万華鏡になっています。太陽の光を受けてキラキラ輝く。自然が生きていると思わせるように。

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