(ナガサキノート)二重被爆、弟が懸命に書き残した記憶

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榎本瑞希・28歳
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福井絹代さん(1930年生まれ)【上】

 風通しの良い黒いレースのカーディガンに汗がにじんだ。8月9日、長崎市の平和祈念式典。子どもの手のひらほどの厚みがある、真新しい4冊の原爆死没者名簿が奉安されるのを、遺族席から見つめる女性がいた。

 青森市の福井絹代(ふくいきぬよ)さん(88)。長崎で生まれ、広島と長崎で2度の被爆を経験した。

 この日、新たに名簿に記された3511人には2017年に84歳で亡くなった弟、相川国義(あいかわくによし)さんの名前も。「ここにいるんだなと思ったら涙が出てきました」と絹代さん。そして続けた。「死んだら私もここに入るのね」

 記者が絹代さんと出会ったのは入社4年目、青森総局に勤務していた2016年の初夏。同僚と取り組んだ戦後70年の企画がきっかけで、広島の被爆者の取材をしていた。絹代さんを紹介してくれたのは青森県原爆被害者の会の辻村泰子(つじむらやすこ)さん(60)。「広島と長崎、両方で被爆された女性です。まさに今、被爆体験と向き合い始めたばかりの方なんです」。私は当時、「二重被爆者」の存在さえ知らなかった。

 取材でお会いした絹代さんは小柄で明るい人だった。東京で出会った夫の故郷に移り住み、2人の子どもを育て、社交ダンスを楽しんだこともあった。ご主人が亡くなり、一人暮らしになってからは読書が趣味になった。

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 絹代さんは自身の詳しい被爆…

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