「遺構は語り部の代弁者」 幼い被爆の記憶、支える力に
山本恭介
ナガサキノート10年 記者再訪
約1400人が犠牲となった旧城山国民学校の校舎、爆風のすさまじさを物語る山王神社の一本柱の鳥居、傾いた旧長崎医科大学の門柱――。
長崎市の竹下芙美さん(76)は、被爆遺構の存続にこだわり続けている。「被爆の体験を語れる人がいなくなるとき、遺構はその代弁者になる。壊してからでは遅いのよ」
1987年と88年、知人の誘いで沖縄の戦跡を訪れた。沖縄戦で住民が米軍から身を隠したガマ(洞窟)。「けがをして運び込まれた人たちであふれていた」と案内人から聞いた。
「血のにおいが鼻をつき、うめき声が聞こえるようだった」。遺構が残っているからこそ、戦争の悲惨さや恐ろしさが伝わる。そう思い知らされ、被爆遺構の保存活動を始めた。
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