(ナガサキノート)原爆の記憶「思い出せない」夫を代弁
森内繁広さん(1932年生まれ)・民枝さん(1940年生まれ)
長崎市西山本町の森内民枝(もりうちたみえ)さん(78)は時々、近くの特別養護老人ホームで暮らす夫の繁広(しげひろ)さん(85)に会いに行く。民枝さんが部屋に入ると繁広さんのほおが少し緩んだ。
ナガサキノートとは…
「ナガサキノート」は、朝日新聞長崎県内版で2008年8月に始まり、2017年1月に連載3000回を超えました。被爆者一人ひとりの人生を、1日に400字ほどの小さな記事で数回から十数回積み重ねて描きます。毎日休むことなく載せ、今も載らない日はありません。デジタル版ではシリーズごとにまとめてお届けします。
部屋の窓際に飾られた写真には、1年前に市内の福済寺に参拝した繁広さんが写る。繁広さんは73年前、爆心地から2・3キロの大黒町で被爆。がれきの下からはい出し、防空壕(ごう)を探し回っている時に福済寺を訪れた。「よう生きとったと思います」。大きく変わった街の様子を部屋から眺め、「こういう緑があるなんて、予想もしなかった」と話す。
10年ほど前までは、自身の被爆体験を取材などで積極的に語った。でも、今は「半分しか思い出せない」。「おしゃべりな夫婦だった」と懐かしむ民枝さんも、繁広さんの話をよく聞いた一人。民枝さん自身は5歳で被爆し、あまり覚えていないが、大人になって戦時中の記憶に悩まされたことがあった。
森内さん夫婦の原爆や戦争の体験を、繁広さんの手記や民枝さんの話をもとにたどる。
繁広さんのこれまでの手記や取材を受けた際のビデオからは、被爆した時、一命は取り留めたものの、非常に危険な状態だったことがよく分かる。
繁広さんは長崎駅前の酒店を…
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