ニッポンの原爆、極秘研究の現場で 高橋源一郎さん寄稿

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 北朝鮮政府が核開発を進めるのは、米国の強大な軍事力に抗して生き残るためだとされています。米軍と戦った第2次世界大戦中には、日本も極秘の原爆研究をしていました。作家・高橋源一郎さんがその歴史の現場を訪ねました。寄稿を配信します。

満開の桜の向こうに…

 JR駒込駅から、7、8分歩くと「公益社団法人 日本アイソトープ協会」(東京都文京区)に着く。門の中に入ると、見事に咲き誇る桜の大木があった。見ほれていると、案内してくれた人が、「駒込はソメイヨシノの発祥の地なんですよ」と教えてくれた。

 満開の桜の向こう側に、旧理化学研究所の古い建物がいくつか見えた。およそ75年前、この建物の中で、学者たちは「ニッポンの原爆」を作ろうとしていたのだ。

 3階建ての旧37号館に足を踏み入れると、2階に仁科芳雄の執務室が当時のまま残されていた。仁科こそ、「ニッポンの原爆」計画の中心にいた物理学者である。

 明治23(1890)年に生…

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