「朝日を見よう」 あと8分、完走への決意
ロータリーエンジンの半世紀 栄光編(7)
屈辱的な予選落ちから1年のブランクを設けて寺田陽次郎(70)ら「マツダオート東京」(現関東マツダ)が1981年に挑んだときは、これまでと違い、様々な変化があった。
最も大きな変化はトム・ウォーキンショー率いる「TWR」チームと提携したこと。TWRでは車を整備するパドックを設置する際に動線を考慮し、「働きやすさ」を最優先にしていた。寺田は本場のノウハウに感心しながら、かつてのように「盗もう」とした。
さらにパリで料理を学んでいた脇雅世(62)をスカウトしたり、サーキットに近いホテルを予約したりして、食住を確保。「雑用係」としての仕事は少しずつ前進していた。
そしてRX―7は2台体制に…
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