右手の指失っても…握り続けたペン 犬飼元記者死去

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 1987年5月の朝日新聞阪神支局襲撃事件で、散弾銃で撃たれて重傷を負った元朝日新聞記者の犬飼兵衛(いぬかいひょうえ)さんが急性心臓死の疑いで、73歳で亡くなった。小尻知博(こじりともひろ)記者(当時29)が撃たれて死亡し、言論の自由への挑戦と受け止められた事件。犬飼さんは同僚を失った悲しみと怒りを胸に、事件後もペンを握り続けていた。

朝日新聞襲撃事件とは

1987年5月3日午後8時15分ごろ、朝日新聞阪神支局に目出し帽の男が押し入り、犬飼兵衛記者と小尻知博記者に無言で散弾銃を発射し立ち去った。小尻記者は4日未明に死亡。東京本社銃撃、名古屋本社寮襲撃、静岡支局爆破未遂も続き「赤報隊」を名乗る声明文などが届いた。一連の事件は未解決のまま2003年3月までに公訴時効が成立した。

 「事件の不可解さとともに、やりきれない怒りでいっぱいです」。事件から10日後、入院先の兵庫県西宮市内の病院で腹部に包帯を巻いた状態で記者会見し、心境をこう語った。

 犬飼さんは阪神支局員だった87年5月3日、支局に押し入った散弾銃を持った男から最初に銃撃を受け、散弾粒200個以上を浴び、右手の指2本を失った。同僚の小尻記者は左脇腹を撃たれて死亡した。

 事件から1年後の88年、犬飼さんは小尻さんへの思いを本紙でつづった。

 「今年に入ってようやく、墓参りを実現できた」とし、雨の中、小尻さんの墓に手を乗せた時の感情を「『小尻が泣いている』。そう思うと、熱いものが体を走った。事件が解決するまで感情は抑えていくと決めている」と書いていた。さらに「下手に生き残ってしまったというのが、正直な気持ちだ」とし、「『生かされたのだ』と自分に言い聞かせて、復帰することを許してほしい」と記した。

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