(ナガサキノート)「平和の帯」締め、語る原爆

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田部愛・25歳
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福島富子さん(1945年生まれ)

 2017年12月10日朝、ノルウェー・オスロに宿泊していた福島富子(ふくしまとみこ)さん(72)=神奈川県葉山町=は着物に袖を通した。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)へのノーベル平和賞の授賞式を別会場の中継で見守る日。着付けると背筋が伸びる感じがした。平和の「和」を刺繡(ししゅう)した帯を締めると前から決めていた。

 着付けの先生をしている福島さんは、普段から着物を着る機会が多い。特に、原爆について語ったり、朗読をしたりする活動の時は必ず身にまとう。「私の勝負服だから」

 生後7カ月で原爆に遭った。記憶はないが、その後、福島さんの人生は大きく変わった。被爆者だと周りに知られることによる差別を恐れたからか、五島の親戚宅に預けられ、両親の愛を知らずに育った。「でもそこに、かわいがってくれた育ての親と、着物に親しむ環境があったから、今の自分がある」

 数年前から積極的に始めた活動に力不足を感じることもあるが、感謝の気持ちを込めて着物に袖を通す。「私にできる唯一のことは、着物を着て、平和を訴えること」

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 1945年1月、福島さんは…

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