(ナガサキノート)頭上にわいていた真っ赤な雲の記憶

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真野啓太・27歳
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深堀譲治さん(1931年生まれ)【上】

 生と死の分かれ道が、いくつもあった。父が病で亡くなったとき、浦上への引っ越し、朝から学校に行こうと誘いに来た友人、工場での班替え、機関砲陣地で明かした一夜……。自ら選べる道があったわけではなかった。それでも、亡くなった家族や友人のことを思うと、違った人生を歩むことができたのではないかと、今も想像することがある。

 被爆者の深堀譲治(ふかほりじょうじ)さん(86)は長崎原爆爆心地の約600メートル北、長崎市橋口町に住む。72年前の8月9日、同じ場所にあった自宅に母と3人の弟妹を残して出かけ、動員先で原爆に遭った。翌朝には自宅に戻ったが、母と2人の弟妹はすでに息絶え、唯一再会できた弟も、「兄ちゃん、死ぬなよ」という言葉を残し、1週間後にこの世を去った。

 2009年から修学旅行生らに被爆体験を証言している。当時の写真や現存する被爆遺構からは知りえない、14歳の少年が目で見た光景を、耳で聞いた音を、鼻でかいだにおいを、肌で感じた熱のことを、伝えるために。

 深堀さんは熊本で生まれ、下…

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