認知症の本人がつなぐバトン 「今この瞬間を楽しんで」

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「恍惚(こうこつ)の人」から「希望の人びと」へ:5(マンスリーコラム)

 「認知症になってからも、希望と尊厳をもって暮らしたい。すべての人が生き生きと暮らせるような社会を、いっしょにつくり出していきたい」

 こう願って3年前に発足した「日本認知症ワーキンググループ」(JDWG)が、「本人」が自ら活動する当事者団体であることを明確にするために「日本認知症本人ワーキンググループ」と名前を変えて、この秋、一般社団法人として新たに出発した。代表理事は、藤田和子さん(56)。認知症と診断されて10年になる今も、厚労省などの行政や社会に向けて提案する活動を続けている。

 10月14日に都内で開かれた年1回の全体会には、認知症の本人が昨年の倍以上の20人近く集まり、ともに活動するパートナーたちとともに、全国各地で本人ミーティングを開くための方策などを話し合った。「恍惚の人」から「希望の人びと」へ。その輪は広がっている。

 私は、豪州のクリスティーン・ブライデンさんと出会った頃のことを思い出し、感慨深かった。

元祖「希望の人」

 クリスティーンさんは1995年、政府高官だった46歳で認知症と診断された。認知症は自己崩壊になると恐れたが、「私は私になっていく」と気づく。2001年には国際会議で認知症の本人として初めて講演。各国の仲間たちと国際的な当事者ネットワークをつくり、発信し続けている。認知症に対する周りの見方を変えてきた、私にとっては元祖「希望の人」だ。

 初めてクリスティーンさんに会ったのは04年9月、豪州ブリスベンの自宅を訪ねたときだった。京都で10月に開かれる国際アルツハイマー病協会国際会議(認知症国際会議)に来日する直前で、彼女は当時55歳。2冊目の著書「私は私になっていく」の原稿を書き上げたばかりだった。

 大きな空と緑輝く町で、夫のポールさん(当時58歳)と次女(同23歳)、馬、猫と暮らしていた。庭のユーカリやヤシの木がゆったりと風をうけ、鳥のさえずりが聞こえる自宅を、朝9時に訪ねた。クリスティーンさんは銀色のティーポットを傾け、「紅茶、ちょっと濃かったかしら?」と私に尋ねた。

 診断から9年。彼女は今日がいつかわからない。言われなければ食べることも忘れる。

 元政府の高官で、ガラスの天井を突き抜けて昇進。94年には公務員勲章も受けた。私生活では前夫の暴力から逃れ、シングルマザーとして3人の娘と静かに暮らし始めていた。

 けれども、認知症と診断されると、無能者として扱われた。退職し、うつ状態で2年間引きこもったという。

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 それでも、クリスティーンさ…

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