父の異変、妻は気づいた 何度も同じ質問、道迷い帰れず

有料記事

山本雅彦
[PR]

両親の介護と仕事と認知症:1(マンスリーコラム)

 2015年6月、父は脳梗塞(こうそく)のため95歳で亡くなった。徳島市内の有料老人施設に母と一緒に入所し、要介護2だった。介添えがあれば何とか歩くこともできたし、食事も自分で食べることができた。

 母はその後も徳島の施設に残り、今年1月、地元の兵庫県西宮市特別養護老人ホームに入所することができた。徳島の施設に入所したとき要介護1だった母は、今年4月、要介護4に認定された。

 「壮絶な介護体験」ではないが、10年以上にわたって両親の世話をしてきて、それなりの苦労もあった。

二十数年ぶりに同居

 06年に母が胃がんと診断され、手術のため西宮市内の病院に入院することになった。

 その間、父を私の家に引き取ることにした。両親が暮らすマンションと私の家は徒歩で10分ほどの距離。食事や洗濯など家事の面倒から解放されれば父も楽だろうと思った。もし気詰まりなら、いつでも自分のマンションに戻ればいい。

 父は1920(大正9)年生まれで、このとき86歳。高齢だが、たまに私の家まで歩いてお菓子を届けてくれることもあったので、まだまだ元気だと思っていた。

 父と一緒に生活するのは二十数年ぶり、大学生のとき以来だった。私の家には使っていない部屋がひとつあり、そこを父に使ってもらった。父は昔から特にこれといった趣味もなく、あまり活発な方ではなかった。日中はリビングのソファに座り、テレビを見たり新聞を読んだり。ほとんどの時間は「ダラダラ」と家の中で過ごしていた。また、午後は必ず自分の部屋で昼寝をした。

 ただ、父は懐メロが大好きで、特に「バタヤン」こと田端義夫の大ファンだった。往年の歌手が登場するテレビの歌謡番組は、熱心に見ていた。

「まさかあの簡単な道順を」

 最初に父の異変に気づいたのは妻だった。

ここから続き

 同居して1~2週間が過ぎた…

この記事は有料記事です。残り2135文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら