弾丸、言論の危機感じた(襲撃30年 明日も喋ろう)
鈴木裕
9条守れと訴える元自民党幹事長、野中広務さん(91)
阪神支局襲撃事件は当時、テレビで知りました。何というえげつないことが起きたのかと。2回、支局へ献花に行きました。
50年余り政治家として活動した中で言論の危機を感じたのは「建国義勇軍事件」。2003年、衆院議員会館の私の事務所に弾丸1発と脅迫状が入った封筒が届いた。北朝鮮へよく行っていたから狙われた。「アジアの平和と友好親善を求める私の姿勢と信念はいささかもゆるがない」とコメントしました。
京都府議の時は府職員の組合のヤミ専従問題を追及すると、猫の死骸が家の庭に放り込まれ、夜に嫌がらせの電話が相次いだ。目が回るような症状に襲われ入院したが、病院から議会に通い追及を続けましたよ。
官房長官や自民党幹事長になると、20人を超える番記者がいた。政府批判があっても尊重し、政府として言うべきことは言う。お互いに好きなことを言い合っていたと思いますね。
最近の新聞の中には政府の都合の悪い報道はせず、かばうところも出てきた。安倍首相に意見する人が党内にも少ないんだ。一番まずかったのは集団的自衛権の行使を認める安保法制をつくり、戦争をできる国にしたこと。他国の人を傷つけ殺すことは、自分たちも殺されることになる。
20年前、改正駐留軍用地特…
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