最初に撃たれた東京本社 襲撃事件前、見逃された予兆

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中村尚徳
【パノラマ写真】朝日新聞襲撃事件資料室を歩く=西村悠輔撮影
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襲撃事件資料室を歩く:下

 一連の朝日新聞襲撃事件は、東京本社が最初の標的となった。阪神支局襲撃の約3カ月前、1987年1月24日夜のことだった。

 「パシャッ」。窓に何かがぶつかるような音を広告局の社員が聞いた。だが異常は見つけられなかった。

 2日後、通信社に犯行声明文が届いた。「われわれは(中略)反日分子を処刑するために結成された実行部隊である(中略)朝日新聞社への行動はその一歩である」。警視庁も社屋の周辺を調べた。それでも、何も発見できなかった。

 その後、阪神支局、名古屋本社の社員寮と襲撃が続き、警察庁が改めて調べ直すように求めた。10月1日、警視庁が外壁などを調べ、弾痕を見つけた。

 2階東南側、広告局のガラス窓や窓枠の2カ所に散弾の痕跡があった。ガラスの表面が削れ、散弾の鉛とみられるものが食い込んでいた。窓枠の表面にも散弾粒の跡が斑点状に残っていた。

 名古屋市東区の新出来寮(廃…

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