「捨てないパン屋」の挑戦 休みも増えて売り上げも維持

藤田さつき
【動画】パンを捨てないパン店=金川雄策撮影
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 精魂込めて作ったパンも、売れ残れば捨てる。そんな商売に疑問を持った広島市のパン職人、田村陽至(ようじ)さん(40)は、店を、そして生き方を変えようと決心した。家族や仲間との時間を豊かにするため、「捨てない、働かないパン屋」へ。

 広島市のパン屋「ドリアン」はかつて、約40種類のこだわりのパンがずらりと並ぶ人気店だった。定番の食パン、クロワッサンのほか、手作りカレーの入ったカレーパン。田村さんが2004年に実家の店を継いだ後は、天然酵母のパンも始めた。

 3人の職人と販売スタッフたちがフル回転し、レストランへの配達もこなした。田村さんは夜10時から翌日夕方まで、寝ずにパンを焼いた。仕事が終われば食事だけして数時間眠る……。そんな日々が続いた。

 「焼きたて」を喜ぶ客のために、午後3時や4時でもパンを焼いて並べた。だが急な雨が降れば客足は止まる。そんな時は、パン12個を並べたプレートが手つかずでも、すべて捨てた。果物のデニッシュやクリームパンなどは、食中毒が怖くて、とても翌日には売れなかった。

 「バイトの女の子が、残ったパンを食べていたんです。捨てるのはおかしい、と言われた。僕だってつらいですよ。今日はいい出来だな、今日の釜はいいなと思いながら作っているのに。でもどうにもできなかった。リスクを冒すなら捨てておこう、となっちゃう」

 活気のあふれる店の経営は、実は苦しかった。たくさんの種類のパン、多くのスタッフ。これを維持するためのコストがかさみ、利益は出なかった。

 「大きなエンジンで一生懸命みんなが走り回り、パンをたくさん作ってたくさん売った。でも売っても売っても何も残らない。これは商売としてまともなんだろうか。これがこのまま続くのか……。だんだん疑問になってきた」

 12年、田村さんは店を休業した。妻芙美(ふみ)さん(36)とともにヨーロッパのパン店を修業して回る旅へ。ウィーンで巡り合ったのが、「グラッガー」という店だ。驚いたことに、職人たちが働くのは午前中だけ。昼時になるとみんな帰っていった。

 「日本では一次発酵、二次発酵をじっと待ちながら見極めるんだけど、グラッガーでは生地を冷蔵庫に入れてさっさと帰る。生地を切るのも機械任せ。細かいこだわりは全部切り捨てて、もう手抜きでやってるんです。具材もほとんどなくて、ゴマがついている程度」

 だがパンは、日本とは段違いでおいしかった。「手抜き」なのに、なぜおいしいのか。「材料は入手できるベストのものを使うのがルールなんだ」と教えられた。

 「日本では、手をかければかけるほど良いパンが焼けると思ってた。でも違った。職人が色々手を加えれば当然、料金に加算されます。だけどグラッガーでは、お客さんは良い素材で作ったおいしいパンを安く買え、働く方も労働時間が半分になる。これは盗みとらないとな、と思った」

 13年秋、田村さんは店を再開。自分の店で「実験」することを決めていた。

 作るパンをまずは2種類だけにしぼり、「材料」は国産の有機小麦に変えた。

 田村さんは北海道・十勝へ、生産者の男性を訪ねた。「いまでも朝起きたら麦が全部枯れていた、なんて夢を見ますよ」。男性は、有機へ転換する際の苦労話を聞かせてくれた。

 「もうパンを捨てられない、と思いました。畑を見て、作り手に話を聞いて、初めて想像力が働いた」

 「国産」にこだわったのはもう一つ理由がある。「僕たちの先輩はヨーロッパの麦で本場のパンを再現しようとしたけれど、僕は、日本の麦で日本人に合うパンを作りたい」

 国産の有機小麦は輸入小麦の4倍の価格だったが、チーズなどの具材をなくして原価を抑えた。これにより、2週間ほど日持ちもするようになった。

 さらに「働き方」と「売り方」も変えた。週3日の午後だけ店を開き、田村さんがパンを焼くのは朝4時から11時までの7時間。パンを焼いたらまず、厨房(ちゅうぼう)の横へ。代金の箱を置いただけの無人販売だ。その後、店でパンが残れば、地元の野菜移動販売やハム店に託す。「リレー販売」と田村さんは呼ぶ。「売り切れるように、いろんな所で順繰りと売るんです」

 気づくとパンを捨てない店になっていた。いま、4種類を基本に売っている。どれもシンプルなパンで「手抜き」と田村さんは言うが、そうは見えない。15分おきに薪をくべ、石窯でじっくり焼き込む。焼き上がったパンは一つ一つ大事そうに手にとり、丹念に粉をはらう。

 18平方メートルの小さな店には、日々味わいが変わるパンを楽しみに多くの人が訪れる。売り上げは年2500万円近く。休業前と変わらない。

 2月のある水曜日の昼下がり、田村さんと芙美さんは食事に出かけた。午前中、田村さんは定期販売用のパンを焼き終えた。毎日午後はオフ。この日は店も休みだ。

 向かったのは、市内のうどん店「わだち草(そう)」。店主の原田健次さん(45)は、自家栽培した小麦を使ってうどんを打つ。「麦兄さんて呼んでるんです」と田村さん。

 田村さん夫妻と原田さんは、うどんをすすりながら「麦」談議を始めた。話はさらに発酵食品、農業、自然環境へと広がっていく。

 「こういう時間は大切。忙しかった時は、余裕がなくて毎日をこなすだけだった。考えてみたら、芙美さんとのケンカも少なくなりました」

 田村さんはいま研修生を受け入れている。1カ月間、住み込みでともにパンを焼く。未経験者でもいい。

 「5年後に流行が終わるパンでなく、これまで長年残ってきたパンを受け継いでいきたい。伝統的なパンのレシピって長い時間をかけて研ぎ澄まされていて単純。ひと月あれば誰でも作れるんですよ。こんなパン屋が日本に増えたら面白いかなと思って、実験を継続中です」(藤田さつき)

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