「後はこいつがやる」社長に託された、独立守る旗印
この連載は神沢和敬 久保田侑暉 加治隼人が担当します
ロータリーエンジンの半世紀 誕生編(1)
困難に、人はどう挑むのか。
遠大な目標をぶち上げ、士気を高めて現場に任せるのか。あるいは現場とともに苦悩しながら歩みを進めていくのか。
東洋工業(現マツダ)でロータリーエンジン(RE)の開発リーダーに就任した山本健一(94)は後者を選んだ。だがそれは、長く続くいばらの道でもあった。山本はこう述懐している。「革新に対する情熱がその根底のすべてである」
◇
1963年4月、RE研究部は産声を上げた。集ったのは40歳の部長、山本を筆頭とする47人の若きエンジニアたち。部下を前に、RE完成という絶対的な目標を語る山本だが、その心境は複雑であった。
四輪参入へ道を開いた「R360クーペ」、更なる躍進を狙った販売直前の「ファミリア」。設計部次長として開発に関わり、社を支えてきた自負がある。そんな矢先に告げられた人事異動を左遷ととらえた。
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研究部発足前に試走させたR…
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