当事者の声が社会を変える 「認知症の人と家族の会」代表に聞く

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聞き手・浜田知宏
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認知症にやさしい街へ:下

 13年ぶりに京都で開かれる認知症の国際会議は、公益社団法人「認知症の人と家族の会」が運営にあたっています。家族の会の設立から携わってきた高見国生代表理事(73)に、これまでの思いを聞きました。

 ――認知症をめぐる日本の環境は変わりましたか。

 私が認知症に関わるようになったのは、養母の介護がきっかけでした。1973年ごろのことです。養母は道を間違えたり、マンションを指さして「病院」と話したりするようになりました。いま思えば、どれも認知症の症状でした。ただ当時は、そんなことは思いもしない時代でした。

 初めて病院に連れて行ったのは、それから5年後のこと。自宅の廊下で養母の排泄(はいせつ)物を見つけてからです。医者からは「老人性痴呆(ちほう)です。治りません。おうちでみてあげるしかないでしょう」と説明されました。

 養母の様子は日に日に変わり、部屋はいつも排泄物の臭いが立ちこめていました。それでも私は、誰にも母の病気を話せなかった。認知症を「恥ずかしい」と、感じていたからです。認知症で診断を受ける人が、ずっと少なかったころのこと。多くの人が「普通の人は発症しない」と考えていたと思います。

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 介護する家族が集う場に参加…

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