ホームで取り戻した穏やかな笑顔 冬の夜、母は外へ

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山口真矢子
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認知症の母を見つめて:3(マンスリーコラム)

 今から10年前、「前頭側頭型認知症」と診断され、要介護2の認定を受けた私の母は、2007年5月、横浜のグループホームに入居することになった。当時67歳。入居する前夜、同居していた妹には「行きたくない。ここに置いてほしい」と懇願し、泣いていたという。

 妹は「お母さん、もし嫌になったらいつでもここに帰ってきていいんだよ。別に刑務所に入るわけじゃないから」となぐさめたそうだ。

 入居後、母の様子がどうなるかは、実際に住んでみないとわからない。妹は「自宅で二人きりで煮詰まるより、風通しのいい共同生活の方がいい」と考えた。

 母は精神的に不安定になると、希死念慮(死にたいという願望)が行動に出てしまう。これが最大の心配事だった。それでも私は「環境が変われば、症状が和らぐのでは」と望みをかけた。

 グループホームは、小さな雑木林を切り開いた閑静な住宅街にあった。モダンなデザインの居住棟が4棟並び、1棟あたり定員9人。母の居住棟はリビングも個室も天井が高く、自然光がほどよく入り、とても明るい雰囲気だった。介護職員が1日3食手作りの食事を提供、着替えもお風呂も手伝ってくれる。父は「いいところだなぁ。俺もここに住みたいぐらいだよ」と苦笑いしながら言った。

 入居前夜は嫌がって泣いていた母だったが、入居後すぐに笑顔が戻った。元々人なつこい性格が幸いし、介護職員や他の入居者たちにすぐになじんだ。職員の顔と名前をすぐに覚え、○○さんと名前で呼ぶようになった。他の入居者の多くはアルツハイマー型認知症で、記憶力が低下している。職員からは、「名前で呼んでもらえるなんて初めてです」と喜ばれた。特に年配の女性職員の間では、年齢が比較的近く愛嬌(あいきょう)のある母はとても愛された。

最初で最後、家族で演奏

 母が入居した年の12月、ホームでクリスマス会があり、家族も招待された。リビングで入居者たちが家族とランチをとり、楽しいゲームをしたり歌を歌ったり、入居者全員にプレゼントタイムがあったり、と至れり尽くせりの企画である。日頃お世話になっている職員に感謝の気持ちを表すとともに、入居者の方やご家族たちを喜ばせようと、私たち家族はささやかなミニライブを披露することにした。

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 妹は、この日のためにネット…

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