(ナガサキノート)総集編:おしゃれ心、原爆に絶たれた

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八尋紀子・42歳
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暮らしの中から:4 ファッション

 天気予報や仕事の予定を思い浮かべながら、毎日、服と靴、バッグを選ぶ。好きなものを好きなように身につける。そんな当たり前のことができなくなるのが戦争だ。

 《女学生のころは、三つ編みの先に紫色のリボンを付けただけで、「派手なのはダメだ」と先生に注意される時代だった。》

 長崎市の佐々木千恵子さん(87)=2011年に掲載=が1936年に小学校に入学した頃は、母はワニ皮のバッグに洋服というハイカラな姿で、同級生にからかわれるほどだった。しかし戦争が始まり、あっという間におしゃれは許されなくなった。佐々木さんは戦後、オーダーメイドの洋服店を開いた。「平和だからこそ、好きな洋服作りができるの」

 戦争が終わっても、原爆でおしゃれへのあこがれを絶たれた人もいる。

 《若い頃から、結婚は「できるわけがない」とあきらめていた。だが、何枚もの白黒の写真を眺めながら、「ひつぎに入れるの」と教えてくれた。「お見合い写真にするの。あの世には、いい人がいるかもしれないでしょう。ハイヒールも履けるしね」》

 14年に85歳で亡くなった小幡悦子さん=08年に掲載=は、12歳の頃、自宅のげた箱にあった2人の姉のハイヒールをこっそり履いたことがあった。

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 「戦争が終わって、町が復興…

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