夏目漱石「吾輩は猫である」223

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 呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。悟ったようでも独仙君の足はやはり地面の外(ほか)は踏まぬ。気楽かも知れないが迷亭君の世の中は絵にかいた世の中ではない。寒月君は珠磨(たます)りをやめてとうとう御国から奥さんを連れて来た。これが順当だ。しかし順当が永く続くと定めし退屈だろう。東風君も今十年したら、むやみに新体詩を捧げる事の非を悟るだろう。三平君に至っては水に住む人か、山に住む人かちと鑑定が六ずかしい。生涯三鞭酒(シャンパン)を御馳走して得意と思う事が出来れば結構だ。鈴木の藤さんはどこまでも転がって行く。転がれば泥がつく。泥がついても転がれぬものよりも幅が利く。猫と生れて人の世に住む事もはや二年越しになる。自分ではこれほどの見識家はまたとあるまいと思うていたが、先達てカーテル・ムルという見ず知らずの同族が突然大気燄(だいきえん)を揚げたので、ちょっと吃驚(びっくり)した。よくよく聞いて見たら、実は百年前に死んだのだが、ふとした好奇心からわざと幽霊になって吾輩を驚かせるために、遠い冥土(めいど)から出張したのだそうだ。この猫は母と対面をするとき、挨拶のしるしとして、一匹の肴(さかな)を啣(くわ)えて出掛(でかけ)たところ、途中でとうとう我慢がし切れなくなって、自分で食ってしまったというほどの不孝ものだけあって、才気もなかなか人間に負けぬほどで、ある時などは詩を作って主人を驚かした事もあるそうだ。こんな豪傑が既に一世紀も前に出現しているなら、吾輩のような碌でなしはとうに御暇(おいとま)を頂戴(ちょうだい)して無何有郷(むかうのきょう)に帰臥(きが)してもいいはずであった。

 主人は早晩胃病で死ぬ。金田のじいさんは慾でもう死んでいる。秋の木の葉は大概落ち尽した。死ぬのが万物の定業(じょうごう)で、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢こいかも知れない。諸先生の説に従えば人間の運命は自殺に帰するそうだ。油断をすると猫もそんな窮屈な世に生れなくてはならなくなる。恐るべき事だ。何だか気がくさくさして来た。三平君のビールでも飲んでちと景気を付けてやろう。

 勝手へ廻る。秋風にがたつく…

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