「助けたい、弟の分も」思い胸に消防団へ 震災22年

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塩野浩子
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 何千、何万ものかけがえのない命を奪い、街を破壊する大災害。私たちは、どうすれば時がたっても、その経験を忘れずにいられるだろうか。起こりうる災害を「我がこと」としてとらえてもらうよう、震災体験の継承や防災に力をそそぎ続ける人たちがいる。

 青い服の消防団員7人が夜の街を自転車で駆ける。神戸市長田区。年の瀬のパトロールで先頭を走った柴田大輔さん(29)は、地元の消防団の分団14人の中で最年少だ。

 22年前、JR鷹取駅南東の野田北部地区(同区)に住んでいた。当時、小学1年生。父昭夫さん(68)、母やす子さん(53)、弟の宏亮(ひろあき)ちゃん(当時3歳)、知幸ちゃん(当時1歳)との5人暮らしだった。

 1月17日午前5時46分。ゴー。下から突き上げる縦揺れに襲われた。自室は木造アパートの1階。家族全員が天井の下敷きになった。「地震」が理解できず、ウルトラマンの怪獣の仕業だと思った。

 闇の中で、「どないや」と聞く父。「痛い」と母。宏亮ちゃんの泣き声が響いたが、知幸ちゃんの声は聞こえない。その泣き声は1時間ほど続き、やんだ。

 助からないかも――。そう思ったとき、上から声が降ってきた。駆けつけた伯父たちだった。

 発生の6時間後に大輔さん、8時間後に父、12時間後に母が救出された。その直後、弟2人が埋まったままの自宅が炎に包まれた。

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