(京の隠れ里に住んで)ここも京都?山里で迎えたお正月

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福野聡子

 京都市中心部から車で約1時間、市内最北端にある山里・左京区久多(くた)。縁あって2年前、この「京の隠れ里」の住人となりました。そして、自然に寄り添いながらの山の暮らしを知りました。まだ「久多初心者」に過ぎませんが、一つひとつ学び、教わりながら、四季おりおりの伝統行事や生活の知恵、集落と人々のいまをお伝えします。まずはお正月です。

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 大みそかの夜。聞こえるのは清流のせせらぎと、鹿の鳴き声――。午後11時ごろ、懐中電灯を手に、里の初詣スポット「志古淵(しこぶち)神社」に向かいました。鳥居の前に立つと、闇の中、本殿の明かりが厳かに浮かび上がっていました。

 午前0時少し前、住民から選ばれた神主役の「神殿(こうどの)」とよばれる男性2人が本殿に入り、正座して参拝者を出迎えます。0時を過ぎると、家族連れが次々と参拝に。「おめでとうさん」。新年のあいさつがあちこちで交わされました。

 3日には同じ境内で「弓始め」も。山の神の祭事で、市の無形民俗文化財です。「神殿」2人が白い装束に身を包み、「エビ」というわらの履物を履いて弓を引きます。矢は木製でこの日朝に作られたもの。矢が的に当たると、見守る住民から、ねぎらいの拍手が送られました。

 行事の担い手には、仕事の関係で外に住み、行事の時に戻ってくる人も多いそうです。「神殿」の1人、佐藤憲之さん(56)も大津市在住。「五穀豊穣(ほうじょう)を願い、弓を引きました。年の初めの伝統ある行事が無事に済んでよかった」とほっとした様子でした。

いったん滋賀県内に

 久多は都の木材供給地としてひらけたとされます。住民は93人(昨年10月1日現在の住民基本台帳)、平均年齢64歳。1960年には520人(国勢調査)の住民がいましたが、林業の衰退などで過疎化が進行。今はコンビニはもちろん、商店も学校もありません。冬は一面、銀世界。除雪車の助けがなくては暮らせません。

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 周囲とは山で隔絶されていて…

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