(ナガサキノート)原爆で刺さったガラス片、母の胸から

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岡田将平・35歳
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坂元洋さん(1943年生まれ)

 たっぷりと蓄えた白いひげがトレードマーク。坂元洋(さかもとひろし)さん(73)は、長崎市五島町の喫茶店「ダンディキャットのリッチくん」のマスターだ。夜にはバーとなる。

 「歴史はいっぱいあっとよー」と笑顔で自ら言うように、その人生は波瀾(はらん)万丈だ。若いときは、ぐれたこともあるらしい。バーテンダーやインテリア関係、出版関係など、さまざまな世界に身を置いた。長く勤めたのはケーキ店で、営業の仕事に奮闘した。定年退職後、10年ほど前に、今の店を開いた。

 私は別の喫茶店で、同じように常連客として来ている坂元さんと知り合った。社会の問題に一家言あり、聞いているとためになる。

 そんな坂元さんも被爆者の一人だ。被爆当時は1歳10カ月で、自身の記憶はまったくない。だが、戦後、父や母から聞いた話が胸に刻まれている。被爆当時のことを思い出して苦しむ家族の様子も目の当たりにしてきた。坂元さんの店で、カウンター越しに話を聞かせてもらった。

 長崎市浜町で生まれ育った。被爆者手帳には、爆心地から2・1キロの長崎駅待合室で被爆した、と記されている。母ヒデさんと一緒に、長崎市稲佐町のヒデさんの実家に食糧をもらいに行く途中だったらしい。

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 ヒデさんは、坂元さんが3…

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