南洋、壮絶な飢えとの闘い 俳人・金子兜太が見た地獄

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編集委員・永井靖二
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 ミクロネシア連邦のチューク空港は、熱帯の強烈な日差しとサンゴ礁を吹き渡る風の中にあった。

 空港があるウェノ島は当時「春島」と呼ばれた。島の西岸へ突き出した滑走路は旧日本軍がつくり、南に並ぶ「夏島」と「竹島」間には連合艦隊の泊まり地があった。一帯は1944年2月17~18日、米軍の空襲で壊滅的な被害を受けた。

 戦中、俳人の金子兜太(とうた)さん(97)は海軍施設部の主計中尉としてトラック諸島にいた。大型飛行艇「二式大艇」で着任したのは空襲の翌月の44年3月。竹島には、焼けた零戦が山のようにあった。

 さらに、空襲が激しさを増す島々では補給を断たれた陸海軍4万人が飢えた。各隊が秋島で耕作し、自給を試みたが、植えたサツマイモは夜盗虫(ガの幼虫)にやられた。

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 金子さんの部隊約200人の…

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