(ナガサキノート)原爆がなければ、もっと違う生活が

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八尋紀子・42歳
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實藤路子さん(1939年生まれ)

 實藤(旧姓・宮田〈みやた〉)路子(さねふじみちこ)さん(77)は長崎市街や女神大橋が一望できる市内のマンションで暮らす。「ここに原爆が落ちて、何もかもなくなったなんて信じられないですよね」。きらきらと輝く街を眺めてつぶやいた。

 路子さんは6歳の時、爆心地から1・5キロの長崎市家野町の自宅近くで被爆した。屋内にいた路子さんは無事だったが、わずか5メートルほど離れた外で遊んでいた長兄は即死、次兄は3日後に亡くなった。長崎市茂里町の三菱製鋼所で勤務中だった父も二度と帰ってこなかった。自宅そばの畑に出ていた母は被爆して生死の境をさまよったが、戦後は苦労を重ねながら女手一つで子ども3人を育て上げた。

 取材をお願いした時、路子さんは「あまり表に出たくない」と乗り気でなかった。しかし「父と母のことを残しておきたい」と取材に応じてくれた。「父が生きていても家族みんなが幸せだったかはわからない。でも原爆がなければ父も兄たちも生きていられた」

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 路子さんの父吉郎(きちろう…

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