夏目漱石「吾輩は猫である」188

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 この女たちには武右衛門君が頭痛に病んでいる艶書事件が、仏陀(ぶっだ)の福音(ふくいん)の如くありがたく思われる。理由はないただありがたい。強(し)いて解剖すれば武右衛門君が困るのがありがたいのである。諸君女に向って聞いて御覧、「あなたは人が困るのを面白がって笑いますか」と。聞かれた人はこの問を呈出した者を馬鹿というだろう、馬鹿といわなければ、わざとこんな問をかけて淑女の品性を侮辱したというだろう。侮辱したと思うのは事実かも知れないが、人の困るのを笑うのも事実である。であるとすれば、これから私の品性を侮辱するような事を自分でして御目にかけますから、何とかいっちゃいやよと断わるのと一般である。僕は泥棒をする。しかし決して不道徳といってはならん。もし不道徳だなどといえば僕の顔へ泥(どろ)を塗ったものである。僕を侮辱したものである。と主張するようなものだ。女はなかなか利口だ、考えに筋道が立っている。いやしくも人間に生れる以上は踏んだり、蹴(け)たり、どやされたりして、しかも人が振りむきもせぬ時、平気でいる覚悟が必用であるのみならず、唾(つば)を吐きかけられ、糞(くそ)をたれかけられた上に、大きな声で笑われるのを快よく思わなくてはならない。それでなくてはかように利口な女と名のつくものと交際は出来ない。武右衛門先生もちょっとしたはずみから、飛んだ間違をして大に恐れ入ってはいるようなものの、かように恐れ入ってるものを蔭で笑うのは失敬だと位は思うかも知れないが、それは年が行かない稚気というもので、人が失礼をした時に怒るのを気が小さいと先方では名づけるそうだから、そういわれるのがいやなら大人しくするがよろしい。最後に武右衛門君の心行きをちょっと紹介する。君は心配の権化(ごんげ)である。かの偉大なる頭脳はナポレオンのそれが功名心を以て充満せるが如く、正に心配を以てはちきれんとしている。時々その団子っ鼻がぴくぴく動くのは心配が顔面神経に伝(つたわ)って、反射作用の如く無意識に活動するのである。彼は大きな鉄砲丸(てっぽうだま)を飲み下した如く、腹の中に奈何(いかん)ともすべからざる塊(かた)まりを抱(いだ)いて、この両三日(りょうさんち)処置に窮している。その切なさの余り、別に分別の出所(でどころ)もないから監督と名のつく先生の所へ出向いたら、どうか助けてくれるだろうと思って、いやな人の家(うち)へ大きな頭を下げにまかり越したのである。彼は平生学校で主人にからかったり、同級生を煽動(せんどう)して、主人を困らしたりした事はまるで忘れている。如何(いか)にからかおうとも困らせようとも監督と名のつく以上は心配してくれるに相違ないと信じているらしい。随分単純なものだ。監督は主人が好んでなった役ではない。校長の命によってやむをえず頂いている、いわば迷亭の叔父さんの山高帽子の種類である。ただ名前である。ただ名前だけではどうする事も出来ない。名前がいざという場合に役に立つなら雪江さんは名前だけで見合が出来る訳だ。武右衛門君はただに我儘(わがまま)なるのみならず、他人は己(おの)れに向って必ず親切でなくてはならんという、人間を買い被った仮定から出立(しゅったつ)している。笑われるなどとは思も寄らなかったろう。武右衛門君は監督の家(うち)へ来て、きっと人間について、一の真理を発明したに相違ない。彼はこの真理のために将来益(ますます)本当の人間になるだろう。人の心配には冷淡になるだろう、人の困る時には大きな声で笑うだろう。かくの如くにして天下は未来の武右衛門君を以て充(み)たされるであろう。金田君及び金田令夫人を以て充たされるであろう。吾輩は切に武右衛門君のために瞬時も早く自覚して真人間になられん事を希望するのである。然らずんば如何に心配するとも、如何に後悔するとも、如何に善に移るの心が切実なりとも、到底金田君の如き成功は得られんのである。否(いな)社会は遠からずして君を人間の居住地以外に放逐するであろう。文明中学の退校どころではない。

 かように考えて面白いなと思っていると、格子ががらがらとあいて、玄関の障子の蔭から顔が半分ぬうと出た。

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