夏目漱石「吾輩は猫である」172

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 もし主人が警視庁の探偵であったら、人のものでも構わずに引っぺがすかも知れない。探偵というものには高等な教育を受けたものがないから事実を挙げるためには何でもする。あれは始末に行かないものだ。願(ねがわ)くばもう少し遠慮をしてもらいたい。遠慮をしなければ事実は決して挙げさせない事にしたらよかろう。聞くところによると彼らは羅織(らしき)虚構を以て良民を罪に陥(おとしい)れる事さえあるそうだ。良民が金を出して雇って置く者が、雇主(やといぬし)を罪にするなどときてはこれまた立派な気狂(きちがい)である。次に眼を転じて真中を見ると真中には大分県が宙返りをしている。伊藤博文でさえ逆か立ちをする位だから、大分県が宙返りをするのは当然である。主人はここまで読んで来て、双方へ握(にぎ)り拳(こぶし)をこしらえて、これを高く天井に向けて突きあげた。あくびの用意である。

 このあくびがまた鯨の遠吠(とおぼえ)のように頗(すこぶ)る変調を極めた者であったが、それが一段落を告げると、主人はのそのそと着物をきかえて顔を洗いに風呂場へ出掛けて行った。待ちかねた細君はいきなり布団をまくって夜着を畳んで、例の通り掃除をはじめる。掃除が例の通りである如く、主人の顔の洗い方も十年一日(じつ)の如く例の通りである。先日紹介をした如く依然としてがーがー、げーげーを持続している。やがて頭を分け終って、西洋手拭を肩へかけて、茶の間へ出御(しゅつぎょ)になると、超然として長火鉢(ながひばち)の横に座を占めた。長火鉢というと欅(けやき)の如輪木(じょりんもく)か、銅(あか)の総落しで、洗髪(あらいがみ)の姉御が立膝(たてひざ)で、長(なが)烟管(ギセル)を黒柿(くろがき)の縁へ叩(たた)きつける様を想見する諸君もないとも限らないが、わが苦沙弥(くしゃみ)先生の長火鉢に至っては決して、そんな意気なものではない。何で造ったものか素人(しろうと)には見当のつかん位古雅なものである。長火鉢は拭き込んでてらてら光る所が身上(しんしょう)なのだが、この代物(しろもの)は欅か桜か桐(きり)か元来不明瞭(ふめいりょう)な上に、殆(ほと)んど布巾をかけた事がないのだから陰気で引き立たざる事夥(おびただ)しい。こんなものをどこから買って来たかというと、決して買った覚(おぼえ)はない。そんなら貰(もら)ったのかと聞くと、誰も呉れた人はないそうだ。しからば盗んだのかと糺(ただ)して見ると、何だかその辺が曖昧(あいまい)である。昔し親類に隠居がおって、その隠居が死んだ時、当分留守番を頼まれた事がある。ところがその後一戸を構えて、隠居所を引き払う際に、そこで自分のもののように使っていた火鉢を何の気もなく、つい持って来てしまったのだそうだ。少々たちが悪いようだ。考えるとたちが悪いようだがこんな事は世間に往々ある事だと思う。銀行家などは毎日人の金をあつかいつけているうちに人の金が、自分の金のように見えてくるそうだ。役人は人民の召使である。用事を弁じさせるために、ある権限を委托した代理人のようなものだ。ところが委任された権力を笠(かさ)に着て毎日事務を処理していると、これは自分が所有している権力で、人民などはこれについて何らの喙(くちばし)を容(い)るる理由がないものだなどと狂ってくる。こんな人が世の中に充満している以上は長火鉢事件を以て主人に泥棒根性があると断定する訳には行かぬ。もし主人に泥棒根性があるとすれば、天下の人にはみんな泥棒根性がある。

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