夏目漱石「吾輩は猫である」152

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 かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえをしたあとで「大分充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血した瞼(まぶた)をこすり始めた。大方痒(かゆ)いのだろうけれども、たださえあんなに赤くなっているものを、こう擦(こす)ってはたまるまい。遠からぬうちに塩鯛(しおだい)の眼玉の如く腐爛(ふらん)するにきまってる。やがて眼を開いて鏡に向ったところを見ると、果せるかなどんよりとして北国(ほっこく)の冬空のように曇っていた。尤も平常(ふだん)からあまり晴れ晴れしい眼ではない。誇大な形容詞を用いると混沌(こんとん)として黒眼と白眼が剖判(ほうはん)しない位漠然(ばくぜん)としている。彼の精神が朦朧(もうろう)として不得要領底(てい)に一貫している如く、彼の眼も曖々然昧々然(あいあいぜんまいまいぜん)として長(とこし)えに眼窩(がんか)の奥に漂うている。これは胎毒のためだともいうし、あるいは疱瘡の余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤蛙(あかがえる)の厄介になった事もあるそうだが、折角母親の丹精も、あるにその甲斐(かい)あらばこそ、今日まで生れた当時のままでぼんやりしている。吾輩ひそかに思うにこの状態は決して胎毒や疱瘡のためではない。彼の眼玉がかように晦(かい)渋(じゅう)溷濁(こんだく)の悲境に彷徨(ほうこう)しているのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明の実質から構成されていて、その作用が暗憺溟濛(あんたんめいもう)の極に達しているから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親に入らぬ心配を掛けたんだろう。烟(けむり)たって火あるを知り、まなこ濁って愚(ぐ)なるを証す。して見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保銭(てんぽうせん)の如く穴があいているから、彼の眼もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用しないに違ない。

 今度は髯(ひげ)をねじり始めた。元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとって生えている。いくら個人主義が流行(はや)る世の中だって、こう町々(まちまち)に我儘(わがまま)を尽くされては持主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここに鑑(かんが)みるところあって近頃は大に訓練を与えて、出来得る限り系統的に按排(あんばい)するように尽力している。その熱心の功果は空(むな)しからずして昨今漸く歩調が少しととのうようになって来た。今までは髯が生えておったのであるが、この頃は髯を生やしているのだと自慢する位になった。熱心は成効の度に応じて鼓舞せられるものであるから、わが髯の前途有望なりと見てとった主人は朝な夕な、手がすいておれば必ず髯に向って鞭撻(べんたつ)を加える。彼のアムビションは独逸(ドイツ)皇帝陛下のように、向上の念の熾(さかん)な髯を蓄えるにある。それだから毛孔(けあな)が横向であろうとも、下向であろうとも聊か頓(とん)着(じゃく)なく十把(じっぱ)一とからげに握っては、上の方へ引っ張り上げる。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛い事もある。がそこが訓練である。否(いや)でも応でもさかに扱(こ)き上げる。門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当の事と心得ている。教育者が徒(いたず)らに生徒の本性を撓(た)めて、僕の手柄を見給えと誇るようなもので毫も非難すべき理由はない。

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