夏目漱石「吾輩は猫である」148

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 尤(もっと)も主人はこの功徳を施こすために顔一面に疱瘡(ほうそう)を種(う)え付けたのではない。これでも実は種え疱瘡をしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつの間にか顔へ伝染していたのである。その頃は小供の事で今のように色気もなにもなかったものだから、痒(かゆ)い痒いといいながらむやみに顔中引き搔(か)いたのだそうだ。丁度噴火山が破裂してラヴァが顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった。主人は折々細君に向って疱瘡をせぬうちは玉のような男子であったといっている。浅草の観音様で西洋人が振り反(かえ)って見た位奇麗だったなどと自慢する事さえある。なるほどそうかも知れない。ただ誰も保証人のいないのが残念である。

 いくら功徳になっても訓戒になっても、きたない者はやっぱりきたないものだから、物心(ものごころ)がついて以来というもの主人は大(おおい)にあばたについて心配し出して、あらゆる手段を尽してこの醜態を揉(も)み潰(つぶ)そうとした。ところが宗伯老のかごと違って、いやになったからというてそう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と残っている。この歴然が多少気にかかると見えて、主人は往来をあるく度(たび)ごとにあばた面を勘定してあるくそうだ。今日何人あばたに出逢って、その主は男か女か、その場所を小川町(おがわまち)の勧工場(かんこうば)であるか、上野の公園であるか、悉(ことごと)く彼の日記につけ込んである。彼はあばたに関する智識においては決して誰にも譲るまいと確信している。先達(せんだっ)てある洋行帰りの友人が来た折なぞは「君西洋人にはあばたがあるかな」と聞いた位だ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあ滅多にないね」といったら、主人は「滅多になくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返えした。友人は気のない顔で「あっても乞食(こじき)か立(たち)ん坊(ぼう)だよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」といった。

 哲学者の意見によって落雲館…

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