(ナガサキノート)爆心地に自宅「長崎の土になりたい」
岡田将平・35歳
黒川博さん(1929年生まれ)
茨城県土浦市の黒川博さん(87)は8月6日、地元のイベントで原爆の体験を語った。
「私のうちに落ちたんですよ。120メートルそばの上。だから一瞬にしてやられた」
当時、黒川さんは山口県にいたが、自宅は爆心地となった長崎市松山町にあった。母、弟、妹2人の計4人が犠牲となった。歩く際にはつえを使い、体調不良で、家では横になっていることも多いという。だが、体験を語る際には、しっかりと立ち、声を張った。
「長崎に別れを言いに行こうと思って」
黒川さんからそう聞いたのは、6月の日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の総会で久しぶりに会った時だった。その言葉が気になり、7月に話を聞きに行った。その時も、「最後と思って」と覚悟を語り、「何が何でも来月までは生きていようという気持ちで生きている」と話した。「僕らのけじめだからね。原爆というのは」
8月9日に平和祈念式典が開かれる長崎市松山町の平和公園。松山町の交差点から階段やエスカレーターで式典会場に向かう人も多いだろう。71年前、黒川博さんの自宅は、その階段のすぐ近くにあった。
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黒川さんは9人家族。7人き…
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