(関西食百景)荒れ地に根をおろして

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文・柏樹利弘 写真・高橋雄大
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鳥取の広留野大根

 わずか6軒の農家が大切に育てている夏ダイコンがある。自然豊かな鳥取県東部の若桜(わかさ)町と八頭(やず)町にまたがる広留野(ひろどめの)高原(標高約800メートル)で栽培されている「広留野(ひろどめの)大根」だ。栽培が始まったのは半世紀前。出荷は8~10月。今年も収穫に追われる時期を迎えている。

 9月上旬の早朝、小谷廣太郎さん(61)は家族らと畑に出ていた。夏ダイコンはどれも地中から15センチほど顔をのぞかせている。「この時期は1日でもすぐ大きくなる。今日もよお乗り出してますな」と目を細めた。地表に出てきた夏ダイコンは少しの力でもするっと抜ける。水分を含み、張りがある表面が朝日に照らされてキラリと輝いた。

 700本ほど入るという大きな布袋に手作業で詰め、農機で近くの選果場へ。ひんやりと冷たい、高原の水が満ちた水槽で泥を落とす。軍手をつけた指とスポンジできめ細かく、表面を傷つけないように磨き上げた。

 戦後間もなく、食糧増産を夢見た開拓者たちが、くわを手に荒れ地を切り開き、農地に変えた。和牛育成、養蚕などにも取り組んだが、軌道に乗らず、苦しい生活が続いた。その状況を救ったのが、根の上部が淡い緑色を帯びた、この青首ダイコンだった。小谷さんは言う。「広留野大根は、神様みたいなもの」と。

高原育ちの甘み 新境地開く

 ミズナラやススキに覆われていた広留野(ひろどめの)高原。終戦から間もない1948年、復員して古里の鳥取県に戻ってきた小谷次郎さん、久雄さん兄弟(いずれも故人)が開拓に乗り出し、高原の近くに住む10戸以上が後に続いた。約50ヘクタールを切り開いて営農を始めたが、自然は厳しかった。大雨が降れば山道が川のようになって通れなくなり、冬は深さ1メートル以上の雪に閉ざされた。離農者が相次いだ。

 転機は63年。自動車が通れる道が開設され、関西の市場へ出荷できるようになった。夏ダイコンは冬ダイコンに比べ辛みが強いとされるが、広留野産は火山灰質の土壌、平地より5度は低いという冷涼な気候で甘みが強い。その点を評価した大阪の市場関係者が京都の市場を紹介。漬物業者から千枚漬け用にと大量注文が舞い込んだ。

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