「もし母を殺したら」友の言葉に泣いた(わたしの思い 鳥居りんこさん:4)

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聞き手・坂本真子
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 エッセイストの鳥居りんこさんに、親の介護に奮闘してきた10年余りの日々を語っていただいた連載も4回目。これが最終回になります。

     ◇

 母はいま要介護3です。国が指定する難病ではありますが内臓は健康で、認知症の症状が出ています。介助すれば立てますが、自力歩行は難しい状態です。

 体の機能は年相応に落ちてきています。視力も同様で「眼鏡を替えたい」「眼科に行きたい」とよく言います(もちろん、他の診療も頻繁に受けたがります)。受診すれば良くなる、医者にかかれば「治してもらえる!」という強烈な「医者信仰」があるように感じられます。

 でも、眼科の待ち時間は4時間以上。私はすべてのスケジュールを調整して付き添わなければなりません。そして毎回、眼科医に「年相応ですよ」と言われて3分ほどで診察は終了します。実は、私より母の方が視力はいいんです。

 母はこれから、ますますいろいろなところが痛くなり、自由に動けなくて不平不満が募っていくでしょう。そんな母の人生に責任を持ち、それにプラスして母の生活に楽しみのエッセンスを加えていくことを、私がやらなければなりません。

 母は全面的に私に頼っていて、私は母を抱えていかなければならない。母の人生は、私のさじ加減ひとつ、という恐ろしさを感じます。母が残りの人生を幸せだったと思うか、つらかったと思って去っていくかは、私次第なんです。その責任を、子育て以上に感じます。

 「介護は精神的に参る」と言った私に、あるサイエンスライターがこう言いました。

 「当たり前じゃない? そも…

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