夏目漱石「吾輩は猫である」121

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 湯槽の方はこれ位にして板間(いたま)を見渡すと、いるわいるわ絵にもならないアダムがずらりと並んで各(おのおの)勝手次第な姿勢で、勝手次第な所を洗っている。その中に尤も驚ろくべきのは仰向けに寐て、高い明(あ)かり取(とり)を眺めているのと、腹這いになって、溝(みぞ)の中を覗き込んでいる両アダムである。これはよほど閑(ひま)なアダムと見える。坊主が石壁を向いてしゃがんでいると後ろから、小坊主がしきりに肩を叩いている。これは師弟の関係上三介(さんすけ)の代理を務めるのであろう。本当の三介もいる。風邪を引いたと見えて、このあついのにちゃんちゃんを着て、小判形(こばんなり)の桶からざあと旦那の肩へ湯をあびせる。右の足を見ると親指の股に呉絽(ゴロ)の垢擦(あかす)りを挟(はさ)んでいる。こちらの方では小桶を慾張って三つ抱え込んだ男が、隣りの人に石鹸(シャボン)を使え使えといいながらしきりに長談議をしている。何だろうと聞いて見るとこんな事を言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね。昔は斬(き)り合(あ)いばかりさ。外国は卑怯(ひきょう)だからね、それであんなものが出来たんだ。どうも支那じゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。和唐内(わとうない)の時にゃなかったね。和唐内はやっぱり清和源氏(せいわげんじ)さ。なんでも義経が蝦夷(えぞ)から満洲へ渡った時に、蝦夷の男で大変学のできる人がくっ付いて行ったてえ話しだね。それでその義経のむすこが大明(たいみん)を攻めたんだが大明じゃ困るから、三代将軍へ使(つかい)をよこして三千人の兵隊を借してくれろというと、三代様がそいつを留めて置いて帰さねえ。――何とかいったっけ。――何でも何とかいう使だ。――それでその使を二年とめて置いてしまいに長崎で女郎(じょうろ)を見せたんだがね。その女郎に出来た子が和唐内さ。それから国へ帰って見ると大明は国賊に亡(ほろ)ぼされていた。……」何をいうのか薩張(さっぱ)り分らない。その後ろに二十五、六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯でしきりにたでている。腫物(はれもの)か何かで苦しんでいると見える。その横に年の頃は十七、八で君とか僕とか生意気な事をべらべら喋舌(しゃべ)ってるのはこの近所の書生だろう。そのまた次に妙な脊中が見える。尻の中から寒竹(かんちく)を押し込んだように脊骨の節が歴々と出ている。そうしてその左右に十六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいる。その十六むさしが赤く爛(ただ)れて周囲(まわり)に膿(うみ)をもっているのもある。こう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際にはその一斑(いっぱん)さえ形容する事が出来ん。これは厄介な事をやり始めた者だと少々辟易(へきえき)していると入口の方に浅黄木綿(あさぎもめん)の着物をきた七十ばかりの坊主がぬっと見(あら)われた。坊主は恭(うやうや)しくこれらの裸体の化物に一礼して「へい、どなた様も、毎日相変らずありがとう存じます。今日(こんにち)は少々御寒う御座いますから、どうぞ御緩(ごゆっ)くり――どうぞ白い湯へ出たり這入ったりして、ゆるりと御あったまり下さい。――番頭さんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答えた。和唐内は「愛嬌ものだね。あれでなくては商買(しょうばい)は出来ないよ」と大(おおい)に爺さんを激賞した。吾輩は突然この異な爺さんに逢ってちょっと驚ろいたからこっちの記述はそのままにして、しばらく爺さんを専門に観察する事にした。爺さんはやがて今上り立ての四つばかりの男の子を見て「坊ちゃん、こちらへ御出(おい)で」と手を出す。小供は大福を踏み付けたような爺さんを見て大変だと思ったか、わーっと悲鳴を揚げてなき出す。爺さんは少しく不本意の気味で「いや、御泣きか、なに? 爺さんが恐(こわ)い? いや、これはこれは」と感嘆した。仕方がないものだから忽ち機鋒(きほう)を転じて、小供の親に向った。「や、これは源さん。今日は少し寒いな。ゆうべ、近江(おうみ)屋(や)へ這入った泥棒は何という馬鹿な奴じゃの。あの戸の潜(くぐ)りの所を四角に切り破っての。そうして御前の。何も取らずに行(い)んだげな。御巡(おまわ)りさんか夜番でも見えたものであろう」と大(おおい)に泥棒の無謀を憫笑(びんしょう)したがまた一人を捉(つ)らまえて「はいはい御寒う。あなた方は、御若いから、あまり御感じにならんかの」と老人だけにただ一人寒がっている。

     ◇

 【三介】三助。銭湯で客の背…

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